神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ポテイダイア(4):津波

ヘレースポントス(ダルダネス海峡)でペルシア王クセルクセースが無事アジア側に渡ったことを見届けた上で、ギリシア側に引き返したのはアルタバゾスという名前の将軍が率いるペルシアの陸上部隊でした。話を少し前に戻します。サラミースの海戦の敗北によってペルシア王クセルクセースが撤退を決意した時、ペルシアの将軍マルドニオスは再度の攻撃を意図してクセルクセースに軍勢を乞いました。彼はクセルクセース王にこう言ったのです。

もし殿におかれてこの地にお留まりにはならぬ御決心ならば、軍の主力を率いて国許へお引き上げ願います。しかし私としましては、軍勢の中から三十万の兵をよりぬき、どうしてもギリシアを隷属せしめて殿にお渡しいたさねばなりません。


ヘロドトス著「歴史」巻8、100 から

このマルドニオスの願いは聞き届けられました。ペルシア軍がギリシア北部のテッサリアまで撤退した際に、マルドニオスはペルシア軍の一部を移譲されました。この時、戦争に適さない冬が近づいていたのでマルドニオスとその軍勢はテッサリアに留まり、翌春に再び南下することにしました。上述のアルタバゾスはこのマルドニオスの軍勢に合流しようと考え、ヘレースポントスからテッサリアに引き返してきたのでした。


そしてその途中でアルタバゾスは、パレーネー半島のギリシア人諸都市がペルシアに反旗を翻しているのに出会ったのでした。そしてその中心にポテイダイアがありました。

パルナケスの一子アルタバゾスは(中略)マルドニオスが選抜した部隊の中から六万の兵を従え、王を船橋まで見送った。王がアジアに着き彼は道を引き返してパレネ附近まできたが、(中略)みすみす反乱中のポテイダイア人に遭遇しながら彼らを屈服させぬ法はないと考えた。ポテイダイア人はペルシア王がすでに通過し終り、ペルシアの水軍もサラミスから逃亡して姿を消した後は、公然とペルシアに叛いていたのである。そしてパレネ地方の他の住民も同様であった。そこでアルタバゾスはポテイダイアの攻囲にかかったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻8、126 から

ポテイダイアはパレーネー半島の一番狭い所に位置しているため、アルタバゾスの軍勢がパレーネー半島を南下するためにはポテイダイアを通過しなければなりません。しかし、ポテイダイアがしぶとく抵抗するので、アルタバゾスの軍勢は南下出来ませんでした。そしてそういう状況が3か月続きました。そんなある日、海がとてつもなく引き潮になることがありました。ペルシア軍はこれはチャンスだと思い、ポテイダイアの市壁を迂回して浅瀬を渡って半島を南下しようとしました。

アルタバゾスが攻囲を始めてから三カ月が経過したとき、激しい干潮が起りそれが長期にわたって続いた。


ヘロドトス著「歴史」巻8、129 から

しかしこれは津波の前兆だったのでした。

ペルシア軍は浅瀬が出現したのを見ると、浅瀬を伝ってパレネ半島に入ろうとして進んだ。彼らが浅瀬の五分の二を過ぎパレネ半島内に達するにはなお五分の三を剰しているとき、土地のものたちの話ではよく起ることだというが、このときはかつて例のないほどの猛烈な高潮が襲ってきた。泳ぎの心得のないものは溺れ死に、心得のあるものはポテイダイア人が船で乗り出して殺してしまった。


同上

エーゲ海のどこかで地震があったのでしょうか? そこのところはよく分かりません。ただ、入り江になっているカルキディケー半島の地形は、波高が増幅されやすい地形でした。しかし、津波というものを理解していない当時のポテイダイアの人々は、この現象を海の神ポセイドーンの怒りによるものと考えました。ポテイダイアという町の守護神がおそらくポセイドーンだったので、人びとはなおさらそう考えたのでしょう。






(左:ポセイドーン神)

ポテイダイア人のいうところでは、この高潮やペルシア人の遭難の原因となったのは、高潮のために死んだペルシア人たちが、町の郊外にあるポセイドンの社や神像に不敬な行為を犯したためであるという。これが原因であったとする彼らの言い分はもっともなように私には思われる。


同上