神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

サモトラーケー(9):ペラスゴイ人(2)

このようにペラスゴイ人はルウィ語を話す人々だ、と断言したいところですが、気になることもあります。それは、レームノス島から出土したギリシア語ではない碑文の存在です。この碑文の文字はギリシアのアルファベットですが、書かれている言葉は明らかにギリシア語ではありませんでした。現代の学者はこの言語をレームノス語と名付けました。一方、ヘーロドトスはレームノス島にペラスゴイ人が住んでいたことを記しているので、ペラスゴイ人はレームノス語を話していたと想定したくなります。しかしレームノス語はルウィ語とはまったく異なる系統の言語であることが明らかになっています。というのは、レームノス語はエトルリア語という古代のイタリアに住んでいた民族の言語と親縁関係が確認されたからです。レームノス語もエトルリア語インド・ヨーロッパ語族の言語ではありません。こうなるとペラスゴイ人の言語が何だったのか分からなくなってきます。私にはどう解決してよいか分かりませんが、レームノス島に住んでいたレームノス語を話す民族と、ルウィ語を話していた他地域のペラスゴイ人をヘーロドトスが区別出来なかった可能性があるのではないか、と考えています。



(右:レムニア語の石碑)


ここで英語版Wikipediaの「ペラスゴイ人」の項を見てみると、ペラスゴイ人の言語についてさまざまな説が紹介されています。まずは、ペラスゴイ人が実はギリシア語またはそれに類似した言語を話していた、とするもの。次に、アナトリアの諸言語のどれかを話していた、とするものです。ルウィ語は、この中に入ります。ここにはパルナッソスというギリシアの地名をルウィ語の単語パルナ(意味は「家」)と関連付ける説が紹介されています。その他にはトラキア語、あるいはアルバニア語、あるいはインド・ヨーロッパ語族ではあるが未だ知られていない言語とする説が紹介されています。その他にも、まだ未解読でクレータ島で使われていたミノア語や、コーカソス諸語に属する言語とする説も紹介されています。レームノス島の碑文のことも少し触れられています。


ヘーロドトスはペラスゴイ人の言葉は、ギリシア語とは異なっていたと書いています。

ペラスゴイ人がどういう言語を話していたかについては、私には確かなことは判らない。しかし今も残存するペラスゴイ人――例えばテュルセノイ人(エトルリア人)の北方にある町クレストンに住み、かつては今のテッサリオティスの地に定住していたドーリス族と境を接していたペラスゴイ人、さらにヘレスポントスのプラキア、スキュラケの二市を建設し、同地でアテナイ人と共住していた同族のものたち、さらに右のほか、後に名称を変えたが本来はペラスゴイ族であった諸都市の住民等――によって判断してよいのならば、彼らの言語は非ギリシア語であったらしい。


ヘロドトス著「歴史」巻1、57 から

こうやって見ると、ペラスゴイ人が話していた言語をルウィ語と想定する説は、それなりに有力なように思えます。


ところで、ヘーロドトスは彼の時代のギリシア人の大半が元々はギリシア民族ではなくペラスゴイだったと主張しています。古代のギリシア人をさらに細分するとイオーニア人、ドーリス人、アイオリス人、アカイア人などに分れますが、このなかでイオーニア人とアイオリス人は以前はペラスゴイ人だったとヘーロドトスは言います。特にイオーニア人に含められるアテーナイ人については以下のように書いています。

なおアテナイ人は、ペラスゴイ人が現在のギリシア(ヘラス)の地を占有していた頃は彼らもペラスゴイ人で、クラナイオイ人の名で呼ばれていた。ついでケクロプス王の時代にはケクロピダイ(「ケクロプス一族」)と称し、エレクテウスが王位を継ぐに及んでアテナイ人と名を変え、さらにクストスの子イオンがアテナイの軍司令官となったとき、その名にちなんでイオニア人と呼ばれることになったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻8、44 から

しかし、アテーナイ人が元々はペラスゴイ人だったとすると、ヘーロドトスが別のところで記している以下の内容をどう解釈したらいいのか、私には分からなくなります。

アテナイ人は当時既にギリシア人の数に加えられていたが、そこへペラスゴイ人が移ってきてアテナイの国土に共に居住することになったもので、それ以来ペラスゴイ人もギリシア人と見做されるようになった。カベイロイの密儀はサモトラケ人がペラスゴイ人から伝授を受けて行なっているものであるが、この密儀を許されたものならば、私のいわんとするところが判るはずである。というのは、アテナイ人と共住するに至ったペラスゴイ人は、以前サモトラケに住んでいたもので、サモトラケ人は彼らから密儀を学んだものだからである。


ヘロドトス著「歴史」巻2、51 から

ここではアテーナイ人とペラスゴイ人が異なる種族のように描かれています。これはアテーナイに元々住んでいたペラスゴイ人がギリシア化したのちに、サモトラーケーから別の、ギリシア化していないペラスゴイ人がやってきて、彼らものちにギリシア化したということなのでしょうか? ペラスゴイ人とギリシア人の関係には謎が多いです。