2020-01-01から1年間の記事一覧
都市一覧へ 1:はじめに キューメーはアイオリス地方の町々のうちで一番大きな町でした。アイオリス地方を下の地図で示します。ギリシア人の一派にアイオリス人というがあり、ギリシアの古典時代にはギリシア本土の東北と小アジアのエーゲ海沿いの北側に分…
パロス:目次へ ・前へ USAのWikipediaでパロスの大理石を調べようとして検索の窓にParian marbleと打つと、候補としてParian marbleとParian Marbleの2つが表示されます。Parian marbleは普通の意味でのパロスの大理石を指しますが、Parian Marbleのほうを…
パロス:目次へ ・前へ ・次へ パロスの大理石が古代ギリシアで珍重されていたことは、前にも述べました。USAのWikipediaの「パロスの大理石」の項を見ると、パロスの大理石で作られた有名な美術品が紹介されています。その中には、以下のものがあります。 …
パロス:目次へ ・前へ ・次へ マラトーンの敗戦から10年後、ダーレイオスの息子でペルシアの王位を継いだクセルクセースは、ギリシアへの再度の侵攻を行ないました。今度は王自らが陸軍と海軍を率いての侵攻でした。クセルクセースが軍を進発する前にギリシ…
パロス:目次へ ・前へ ・次へ そうこうするうちにミルティアデースがアテーナイ軍を率いてパロスに攻めてきました。 ミルティアデスは軍勢を手中にするとパロス島に向って出帆した。攻撃の理由として掲げたのはパロスが三段橈船一隻を出し、ペルシア軍に従…
パロス:目次へ ・前へ ・次へ では、想像を交えてリュサゴラスの活動を見ていきます。 ミルティアデースがペルシア王からの離叛をペルシア支配下のギリシア人僭主たちに勧めたのは、BC 513年頃のことでした。それはドナウ河の河口付近でのことです。この時…
パロス:目次へ ・前へ ・次へ ここからは、単なる私の想像の話であり、少しでも反証が出てきたら、たちまち崩れてしまうようなお話です。そんなお話ですが、お付き合い下さい。 私の想像はヘーロドトスの次の記事を元にしたものです。 ミルティアデスはテイ…
パロス:目次へ ・前へ ・次へ 晩年のアルキロコスについて述べた碑文が今も残っています。それはBC 1世紀に作成されたと推定される碑文なので、アルキロコスの時代から600年ほどのちのことです。ですのでどこまで信用してよいか分かりませんが、そこにアル…
パロス:目次へ ・前へ ・次へ 話をアルキロコスに戻します。彼は戦士であることを誇りに思っていました。しかし、名誉の戦死という概念は彼にはありませんでした。 誰でも死んでしまえば、市民の間で尊敬もされず、 有名にもならぬであろう。吾々生きている…
パロス:目次へ ・前へ ・次へ このギュゲスの話は、同じ頃の人であるパロスの詩人アルキロコスも、そのイアンボス六脚詩に歌っている。 ヘロドトス著 歴史 巻1、12 から歴史 上 (岩波文庫 青 405-1)岩波書店Amazon とヘーロドトスが書き残してくれたので…
パロス:目次へ ・前へ ・次へ パロスの女神デーメーテールの神官にしてタソス市の建設者であったテレシクレースには、アルキロコスという名の息子がいました。この息子には次のような伝説が、パロス出土の碑文に残っています。 人々の語るところによれば、…
パロス:目次へ ・前へ ・次へ BC 1500年頃にはエーゲ海の覇権はクレータ島からギリシア本土に移ったらしいことが考古学的な証拠から推測されるのですが、その時にパロス島に本土のギリシア人が到来したのかどうか私は知りたいと思っています。しかし調べて…
パロス:目次へ ・前へ ・次へ パロス島が登場する数少ない伝説のひとつは、英雄ヘーラクレースが、十二の功業のひとつ、アマゾーン族の女王ヒッポリュテーの帯を持ってくる話の中の、エピソードになっているものです。 (ヘーラクレース) そのエピソードを…
パロス:目次へ ・前へ ・次へ パロス島はキュクラデス諸島に属しています。キュクラデス(Kykládes)というのは、英語のcircleと同じ語源で、「円」を意味します。神聖なデーロス島をめぐって島々が円をなして配置されている、という意味で古代からキュクラ…
パロス:目次へ ・次へ パロス島はエーゲ海の中ほどにある島です。その東側にはすぐのところにナクソス島が迫っています。 地図を拡大するとこのようになっています。 すぐ東隣のナクソス島はパロス島より大きく、また人口も多かったのでした。そして、パロ…
都市一覧へ 1:はじめに パロス島はエーゲ海の中ほどにある島です。その東側にはすぐのところにナクソス島が迫っています。地図を拡大するとこのようになっています。すぐ東隣のナクソス島はパロス島より大きく、また人口も多かったのでした。そして、パロ…
トロイア:目次へ ・前へ トロイアについては、書き残した気になることが多いですが、整理がついていません。その中で2つほどお話したいと思います。 一つはトロイア戦争以前にトロイアがギリシア本土の近くまで攻めて来たという伝説があることです。ヘーロ…
トロイア:目次へ ・前へ ・次へ 私はいつもならエーゲ海に面したある町について、神話・伝説から始めて徐々に歴史につなげるように記述をしていくのですが、このトロイアの回は途中でヒッタイトの文書を取り上げたために、ある時代について一方は伝説として…
トロイア:目次へ ・前へ ・次へ 遺跡の層のトロイアVIIIはBC 85年に終わり、この年からはトロイアIXが始まります。では、BC 85年に何があったのでしょうか? 実は、この年にトロイアは共和制ローマの将軍フィンブリアによって破壊されたのでした。この時ロ…
トロイア:目次へ ・前へ ・次へ それでは、ペルシア王クセルクセースがトロイアのアテーナー神殿に千頭の牛を捧げたところに戻ります。このあとクセルクセース率いる大軍はアテーナイ沖のサラミースでギリシア連合軍に惨敗します。そのことを踏まえた上で先…
トロイア:目次へ ・前へ ・次へ 前回の記事で、天から降りて来たという聖像パラディオンのことに少し触れたので、この聖像の行方についてお話しします。考古学から急に伝説の話に戻ってすみません。 パラディオンは、それを保持している町を守る力があると…
トロイア:目次へ ・前へ ・次へ 伝説によれば、トロイア戦争後のトロイアは無人になったのでした。トロイアの人々は殺されたか、トロイアを脱出したか、捕虜としてギリシア兵に連行されたかのいずれかで、トロイアに残る人々はいなかったことになっていまし…
トロイア:目次へ ・前へ ・次へ 今度は遺跡の層からどのようなことが分かっているのか調べてみます。 (上:トロイアの遺跡の層) 一番下の層はトロイアIです。この遺跡はコルフマン教授によればBC 2920年からBC 2550年頃のものであるということです。BC 29…
トロイア:目次へ ・前へ ・次へ 昨日の記事は、私が最近知ったことを整理出来ないままに載せてしまいました。今日は昨日の記事を見直して、結局ヒッタイトの諸文書からウィルサ(=トロイア)について何が分かったのかを、まとめてみたいと思います。昨日の…
トロイア:目次へ ・前へ ・次へ ヒッタイトの文書に登場するウィルサという国がどうやら当時のトロイアのことを指しているらしい、ということはお話ししました。では、その文書にはウィルサについてどのようなことが書かれているのでしょうか? USAのWikipe…
トロイア:目次へ ・前へ ・次へ トロイア戦争をBC 1200年頃と考えて、その頃のヒッタイト王国(ヒッタイト帝国と書かれる場合もあります)の歴史を調べたところ、この頃にヒッタイト王国が滅亡していることに気づきました。トロイアの滅亡とヒッタイト王国…
トロイア:目次へ ・前へ ・次へ ギリシア神話に登場するトロイア人ですが、彼らは何人だったのでしょうか? ギリシア人だったのでしょうか? イーリアスでは、対戦する武将たちは互いに相手を威嚇する言葉を投げつけていたりしており、ギリシア人とトロイア…
トロイア:目次へ ・前へ ・次へ 今まで伝説上のトロイアについてご紹介してきました。では、現実のトロイアはどのようなものだったのでしょう。トロイアを発掘したのは、有名なシュリーマンで、1872年のことです。私の子供の頃(50年も前のことですが)は…
トロイア:目次へ ・前へ ・次へ トロイアにまつわる伝説はまだまだあって、曙の女神エーオースにさらわれたティートーノスもトロイアの王族で、ラーオメドーン王の息子でした。 (上:ティートーノスをさらうエーオース) ホメーロスの「イーリアス」では、…
トロイア:目次へ ・前へ ・次へ ガニュメーデースの兄でエリクトニオスの息子であるイーロスがトロイアの王位を継ぎました。このイーロスがトロイアの中心になる城を作ったため、その城はイーロスにちなんでイーリオンと呼ばれるようになりました。イーロス…