神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

パロス(10):リュサゴラス(2)

では、想像を交えてリュサゴラスの活動を見ていきます。


ミルティアデースがペルシア王からの離叛をペルシア支配下ギリシア人僭主たちに勧めたのは、BC 513年頃のことでした。それはドナウ河の河口付近でのことです。この時、ペルシア王ダーレイオスはドナウ河を越えてスキュティア人の国に攻め込んでいました。そしてギリシア人僭主たちには、ここで残って、ドナウ河に懸けた船橋を守るように王から命ぜられておりました。そこへ遊牧民のスキュティア人たちがやってきて、彼らに船橋を破壊することを勧めました。そうすればダーレイオスおよびペルシア軍はドナウ河を渡ることが出来なくなり、スキュティアに閉じ込められることになるだろう。そして、おまえたちは自由の身になることが出来るのだ、とスキュティア人たちは言いました。


これに賛成したのがミルティアデースでした。しかし、ミーレートスの僭主だったヒスティアイオスがこれに反論し、他のギリシア人僭主たちを説得したために、船橋は破壊されず、のちに命からがらスキュティアから脱出してきたペルシア軍は、船橋を渡ってスキュティアから撤退することが出来ました。


ヘーロドトスは、この時の彼の言動が原因となって、彼はその支配地のケルソネーソスを離れなければならなくなった、と記しています。ケルソネーソスは今のガリポリに当ります。

しかし、リュサゴラスがペルシア高官ヒュダルネスに讒訴した内容が、上のことだったかどうかについては、私は自信がありません。というのは、ヘーロドトスが、ミルティアデースがケルソネーソスを離れなければならなくなった、と記述しているのはBC 493年のことだからです。しかし、その原因となった上の言動はBC 513年頃ですので、その結果追放されたとしたら、BC 493年は遅すぎる年代です。しかもBC 498年からBC 494年にかけてはイオーニアの反乱という大事件が勃発しています。そしてヘードロトスはこの反乱の間ミルティアデースが何をしていたのか記していません。何かを隠していそうです。なので、上の言動によってBC 493年にケルソネーソスを離れなければならなくなった、というヘーロドトスの記述は疑わしい、と私は思っています。


それはともかくとして、ヘーロドトスは、リュサゴラスがペルシア高官ヒュダルネスにミルティアデースの告げ口をした、と書いているので、おそらくこの頃に何らかの事について告げ口をしたのでしょう。その前にリュサゴラスはミルティアデースとペルシア領のどこかで出会っていたのかもしれません。まるで見ず知らずの人の告げ口をするというのは、考えづらいです。2人はどこかで会って、そこでリュサゴラスがミルティアデースに恨みを持った、ということは考えられそうです。


イオーニアの反乱にパロスは参加していません。当時ペルシア支配下でなかったのに反乱を援助したのはアテーナイとエレトリアでした。反乱の鎮圧後、ダーレイオスは軍を派遣してアテーナイとエレトリアを懲罰しようとしました。その軍はキリキア(小アジア南岸)で集結し、それから北上し、次にサモス島から西に向かい、イカリア島まで進みました。ここまではイオーニアの反乱後ペルシアに服属した領域です。ここから西は当時のペルシア領の外になります。ペルシア艦隊はイカリア島から少し南に下がってナクソス島を攻略しました。しかし、パロス島が攻略された様子をヘーロドトスは記述していません。

そして、この戦争が終わったあとの記述で、実はパロスが派遣した船一隻がペルシア軍とともにアテーナイまで従軍していたことが分かります。そこで私は、リュサゴラスは最初からこのペルシア軍に従軍しており、ペルシア軍の武力を背景にしてパロスに帰国し、その支配権を握ったのだと想像しました。そして彼は、パロス人を説得してペルシア軍に船一隻を提供させる代わりに、ペルシア軍による破壊を免れるように取計らったのだと思います。一方、隣のナクソスはペルシア軍によって破壊を受けました。

 彼らがイカロス海からさらに進んでナクソスに接岸したとき――遠征の手始めにまずナクソスを討つのがペルシア軍の企図であった――、ナクソス人は先年の経験を覚えていて山中に逃避し、ペルシア軍を迎え撃とうとはしなかった。そこでペルシア軍は捕えただけのナクソス人を奴隷にし、聖域と市街に火を放って焼き、そうしてから他の島に向った。


ヘロドトス著「歴史」巻6、96 から

ここからペルシア軍は北上し、レーナイア島を経由してエウボイア島に達し、エレトリアを破壊したのでした。そしてその後、アテーナイに向い、アテーナイ近郊のマラトーンにおける戦いでペルシア軍は、ミルティアデース率いるアテーナイ軍によって撃退されたのでした。ペルシア軍はエレトリアで捕えた捕虜を連れて、ペルシアへと戻っていきました。ペルシア側に賭けていたリュサゴラスにとっては、困ったことになりました。今回の従軍でアテーナイの怨みを買うことになり、さらに、ペルシア兵が引き上げてしまったので、独力でアテーナイと対峙しなければならなくなったからでした。