神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

トロイア(17):気になること

トロイアについては、書き残した気になることが多いですが、整理がついていません。その中で2つほどお話したいと思います。


一つはトロイア戦争以前にトロイアギリシア本土の近くまで攻めて来たという伝説があることです。ヘーロドトスの「歴史」の中にそのような記述が、断片的ではありますが、ありました。以下は、BC 480年ペルシア王クセルクセースがギリシア本土を征服するために編成した軍の規模の巨大さを説明する文章ですが、その中にトロイアに関する記述がありました。以下の文中でテウクロイ人と書かれているのがトロイア人のことです。

まことにこの遠征軍は有史以来桁はずれに大規模なもので、かのダレイオスのスキュティア遠征軍もこれに比べればとるに足らぬものと思われ、またスキュタイ人がキンメリア人を追ってメディア領に侵入し、ほとんど上アジア全土を席捲し、ために後年ダレイオスの報復を招くこととなったのであったが、この時のスキュティア軍の陣容も、伝え聞くアトレウスの子らのイリオン(トロイア)遠征、さらにはトロイア戦争に先立って、ミュシア人とテウクロイ人とがボスポロス海峡を渡ってヨーロッパに侵入し、トラキアの住民をことごとく征服し、遠くイオニア海アドリア海)の沿岸に至り、南はペネイオス河畔にまで達した時の兵力も、今次の遠征軍に比べれば物の数ではなかった。


ヘロドトス著「歴史」巻7、20 から

上の文章の内容を地図に書き込んでみると下のようになります。

本当にこんなことがあったのでしょうか? 岩波文庫の上記の箇所の注には

伝説によれば、この遠征軍の指揮はトロイアプリアモスの父ラオメドンがとった。

とあります。トロイアが、ギリシアに攻められるだけの国ではなかった、ということのようです。


もう一つは、トロイア人も話していたと思われるルウィ語についてです。言語学者風間喜代三氏の「印欧語の故郷を探る」の中にこんな記述がありました。

ルウィ語の話手の場合
アナトリアではヒッタイト語族とは別に、むしろそれよりも早くこの地に入ったと思われる集団がいた。それはルウィ語の話手である。(中略)彼らはアナトリアの西部から南部に居住していたらしく、その中心はヒッタイト文献においてアルザワ国と呼ばれている地域であった。
(中略)彼らはヒッタイト語の話手たちとのかかわり以上に早くから西のほうに目をむけていた。というのは、古代ギリシアにはLarissaとかParnassosのように-ss-という接尾辞をもった地名が、Corinthosのようなnth-ともった地名とともに、数多くみられる。そして、同じこの接尾辞をもった形が、ヒッタイト文献の記録する小アジアの地名にも多い。例えば、アルザワ国のなかにもApassa, Hatarassa, Madunassaなどがある。これはルウィ系の言語の話手が、後のギリシア人の地に早くに進出していたことをうかがわせるものである。


風間喜代三著「印欧語の故郷を探る」より

つまりルウィ語の話し手たちが、ギリシア本土にまで到達していた可能性がある、ということです。そう考えるとギリシアトロイアのかかわりには複雑なものがありそうです。


トロイアについて調べると謎は深まるばかりでした。これ以上深みにはまると何も書けなくなってしまうので、私のトロイアに関する話は、ここで終わりにします。読んで下さり、ありがとうございます。