神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

パロス(11):籠城

そうこうするうちにミルティアデースがアテーナイ軍を率いてパロスに攻めてきました。

ミルティアデスは軍勢を手中にするとパロス島に向って出帆した。攻撃の理由として掲げたのはパロスが三段橈船一隻を出し、ペルシア軍に従ってマラトンに来攻し、先立って敵対行為に出た、というものであった。これが表向きの理由であったが、実をいえばミルティアデスはテイシアスの子リュサゴラスのことにからみ、パロスに対して怨恨を抱いていたのであった。リュサゴラスはパロスの出身で、ミルティアデスのことをペルシア人ヒュダルネスに讒訴したのである。
 目指す島に着いたミルティアデスは、パロス人を城壁内に封じ込め、軍勢をもって包囲攻撃の態勢をとった。そして使者を城内に送って金百タラントンを要求し、応ぜぬ場合には町を攻略するまでは兵を引き上げぬと伝えさせた。


ヘロドトス著「歴史」巻6、133 から

ミルティアデースが高額の金を要求したのは、パロスがそれまで大理石の販売で潤っていると踏んだからです。そしてパロスがさして強国でないので攻めるに易いとも考えたのでしょう。一方パロス市民はペルシア軍の援護もないので、市を取り巻く城壁の中で籠城するしかありません。それでもパロス側は、戦い抜く決意でした。

しかしパロス側はミルティアデスに金を払うなどということは始めから全く念頭に置かず、ひたすら町の防衛の手段を講じたが、さまざまに意を用いた中でも特に、事あるごとに攻撃を受け易かった城壁の箇所を、夜間を利して従前の倍の高さに増築したのであった。


ヘロドトス著「歴史」巻6、133 から

包囲は26日にも及んだのですが、どうしたことかミルティアデースは太腿に負傷し、それが悪化してきたので、攻略をあきらめて軍を引き上げました。

ミルティアデスはさんざんの態で帰国した。アテナイへ金も持ち帰れず、パロスの占領も果たさず、ただ二十六日間包囲し島を荒したに止まったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻6、135 から

しかもその後、ミルティアデースは腿が壊疽を起して腐り、それがもとで死亡してしまいました。こうしてパロスは自国の存立を守ることが出来たのでした。


ところで、ミルティアデースが太腿にケガをし死んでいったのは神罰によるものであった、という伝えがパロスにはありました。

これまでの記述は、すべてのギリシア人が伝えていることであるが、これ以後の経過はパロス人自身の伝えるところによる。
 ミルティアデスが方途に迷っていると、パロス生れで捕虜になっていた一人の女が面談にきたという。女の名はティモといい、地女神に奉仕する副司祭であった。女はミルティアデスと面会すると、どうしてもパロスを占領したいと思うなら、自分の指示するとおりにするがよいとすすめた。


ヘロドトス著「歴史」巻6、134 から


「地女神」というのは大地と農業の女神、大いなる母であるデーメーテールのことです。このデーメーテールの副司祭がミルティアデースに何を指示したのかをヘーロドトスは書いていません。あとの記述によれば男子禁制の神事に関わることだったようです。ところで、パロスのデーメーテールというと、アルキロコスの父親がその祭司であったことを思い出します。

そこで女の指示に従ってミルティアデスは町の前面に横たわる小丘へ出かけ、そこに祀ってある「掟授け(テスモポロス)のデメテル」の社の境内へ入ったが、この時境内の門を開けることができぬまま、垣を乗り越えて侵入した。垣を越えると社殿に向い社の中でなにかをしようとした。一体何をしようとしたのか――動かすべからざる聖器を動かそうとでもしたのか、その辺のことはよく判らない。ところが社殿の入口までくると突然身慄(みぶる)いに襲われ、急いで元きた道を戻ったが、石垣を飛び降りる際に太腿を挫いた。別の説では膝に打傷をしたともいう。


同上

「突然身震いに襲われ」というところは、女神によって恐怖を吹き込まれたことを表しているのでしょう。そしてミルティアデースは神殿でしようとした何かをあきらめて、戻る途中で太腿を負傷したというのです。副司祭が指示した内容が何か瀆神的なものであったことを、この記述は匂わせています。ミルティアデースがしようとした何かに対してデーメーテール女神は怒りを示したのでした。


この副司祭の行動が神意に基いたものであることを、以下の記述が示しています。

パロス人は女神の副司祭ティモがミルティアデスの手引きをしたことを知り、籠城騒ぎが収まり町が平穏に還ると早速ティモの罪を問おうとしてデルポイへ神託使を送った。神託使派遣の目的は、女神の副司祭が敵に対し祖国占領の手引きをし、また男子禁制の神事をミルティアデスに明かした咎で処刑することの是非を伺うためであったが、巫女(ピュティア)はティモにはこの事件の責任はなく、ミルティアデスは悲惨な最期を遂げるべき運命であったので、彼を破滅に導くべくティモの似姿がミルティアデスの前に現れたにすぎぬといって、ティモの処刑を許さなかった。


ヘロドトス著「歴史」巻6、135 から