神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

パロス(6):ギュゲース

このギュゲスの話は、同じ頃の人であるパロスの詩人アルキロコスも、そのイアンボス六脚詩に歌っている。 


ヘロドトス著 歴史 巻1、12 から

とヘーロドトスが書き残してくれたのですが、アルキロコスのこの詩は残っていません。代わりにヘーロドトスがこの話を伝えています。パロスから話が横道にそれますが、ヘーロドトスの伝えるこの話は面白いので、ここでご紹介します。この話は小アジアの内陸にあるリュディア王国の首都サルディスを舞台にしています。元よりこれは伝説であって真実ではないでしょう。この話が始まる時点でリュディアの王はカンダウレスという人物であり、ギュゲースはカンダウレスのお気に入りの近習でした。このカンダウレスはギュゲースに対して何度も自分の妃の美しさを自慢していたのですが、自慢するあまり、変なことを言い出したのです。

「ギュゲスよ、お前はわしが妃の容色について話してやっても信じないようだが――いかさま人間は、眼ほどには耳を信用しないというからな――、ひとつ妃が着物を脱いだところを見てみるがよい。」
 ギュゲスは大声をあげていうに、
「殿様、私にとっては主君にあらせられるお妃様の素肌を見よとは、何と分別のないお言葉でございましょう。女と申すものは、下着とともに、恥らいの心をも脱ぎ去るものでございます。私どもが則(のっと)らねばならぬ名言の数々が、古人によって言われておりますが、その中の一つに、『己れのもののみを見よ』と申す言葉がございます。私はお妃様がこの世で最高の美女であらせられることを確信いたしております。されば、なにとぞ私に無法なことをお求め下さいませぬよう。」


ヘロドトス著 歴史 巻1、8 から

しかしカンダウレスは引き下がりません。きっと馬鹿殿さまだったのでしょう。ギュゲースを無理強いして、とうとう自分の妃の裸を見させるようにしたのでした。

「ギュゲスよ、案ずることはないぞ。(中略)お前に見られても、妃は絶対に気付かぬように、わしが手配しておこう。お前をわしらの寝室に入れ、開け立てた扉の後ろに潜ませてやろう。わしが入った後から、妃も寝室に来る。入口の傍に椅子があるが、妃は身につけたものを一つ一つ脱いで、その上に置く。それでお前は十分にゆっくりと眺めることができるわけだ。妃が椅子をはなれて寝台に向って歩み、お前に背を向けたならば、その時妃の目にとまらぬように気を付けて、扉の外に出るのだぞ。」


ヘロドトス著 歴史 巻1、9 から

ギュゲースは、仕方なくカンダウレスの言う通りにしました。しかし、お妃はカンダウレスの姿に気付いてしまったのです。お妃はすぐにそれが夫の仕業であることを悟りました。そうでなければギュゲースが自分たちの寝室に入れるわけがなかったからです。お妃は恥を思ってその時は気付かぬふりをしたのでした。


 翌朝、お妃はギュゲースを呼び寄せます。まさかバレたとは思っていないギュゲースはお妃の前に伺候しました。するとお妃はギュゲースに次のように告げました。

「ギュゲスよ、そなたには今、進むべき道が二つあるが、そのいずれを採るかの選択は、そなたにまかせましょう。すなわちカンダウレスを殺して、私とリュディアの王国をわがものとするか、さもなくばそなたは、この場でただちに死なねばならぬ――この後もことごとくカンダウレスの言うがままになって、そなたの見てはならぬものを見るようなことのないようにじゃ。かようなことを企らんだあの人か、私の肌を見て許されぬことを仕出かしたそなたか、いずれかが死なねばならぬ。」


ヘロドトス著 歴史 巻1、11 から

お妃はきっと本当に美しかったのでしょう。その美しいお妃が面と向かって夫かおまえか「いずれかが死なねばならぬ」と言うのです。そして「そのいずれを採るかの選択は、そなたにまかせましょう」と言うのです。これはなかなかに恐ろしい状況です。

 ギュゲスはその言葉にしばし呆然としていたが、やがてそのような選択を無理強いして下されるな、と嘆願した。しかしその嘆願も通らず、主君を倒すか、自らが他人の手にかかって死ぬか、そのいずれかがまさしく逃れられぬ運命として身に迫っているのを見るや、自分が生きながらえる道の方を選んだのである。そして次のように訊ねて言った。
「私は気が進みませんが、お妃様は私にどうしても御主君を亡きものにせよと仰せられます故、お伺いいたしますが、どのような手段で殿様を襲ったものか、それをお聞かせ下さいませ。」
 妃が答えていうに、
「あの人が私の肌をそなたにのぞかせた、その同じ場所から襲ったらよい。眠っている間にかかるのじゃ。」
 このような企みを打ち合せたのち、ギュゲスは、――今は放免もされず、また逃れる術もなく、自分が殺されるか、カンダウレスを討つかの瀬戸際に追いつめられ――日の暮れるのを待って、妃に従って寝室へ忍び込んだ。妃は彼に短剣を手渡し、前のときと同じ扉のうしろに潜ませた。それからカンダウレスが横になると、ギュゲスは抜け出して王を殺し、妃と王国とを二つながらわがものとした・・・・


ヘロドトス著 歴史 巻1、11~12 から

以上がヘーロドトスの伝えるギュゲースの話です。ヘーロドトスはこの話をアルキロコスが詩にしていると、言っているわけです。