神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

パロス(4):イオーニア人の到来

BC 1500年頃にはエーゲ海の覇権はクレータ島からギリシア本土に移ったらしいことが考古学的な証拠から推測されるのですが、その時にパロス島に本土のギリシア人が到来したのかどうか私は知りたいと思っています。しかし調べても、それに関する情報を得ることが出来ませんでした。その後BC 1190年頃にはトロイアの陥落があったと推定されています。そしてその後、数十年の内にギリシア本土の各地の宮殿が破壊されたのでした。これら一連の出来事は、考古学ではBC 1200年のカタストロフと呼ばれる現象で、それはエーゲ海に留まらず、今のイスラエルあたりまで広がる大規模な破壊の一部でした。BC 1200年のカタストロフがなぜ起きたのか、まだ分かっていません。次にパロスの姿が見えるのは、このカタストロフののちの時代です。


ペロポネーソス半島の内陸はアルカディア地方と呼ばれていていましたが、その中のパラシアという地方にパロスという人物がいました。このパロスが近隣のアルカディア人を率いてパロス島に植民し、島に自分の名前をつけた、という伝説をBC 4世紀のポントスのヘラクレイデスという哲学者が記しているそうです。しかし、古典期のパロスにはアルカディア人ではなくイオーニア人が住んでいました。この矛盾を解くためでしょうか、先ほどの伝説ではアルカディア人の到来のあとにはアテーナイからイオーニア人がパロス島に植民してきた、と述べられています。もし本当にそうだとすれば、イオーニア人たちは最初に来たアルカディア人たちを圧倒してしまったのでしょう。イオーニア人がパロスにやってきたのはBC 10世紀頃と推定されています。そしてその頃すでに北にあるデーロス島が神アポローンとその妹アルテミスの聖地として神聖視されていたようです。


そこからBC 8世紀まではパロスについてほとんど話が残っていません。BC 710年頃からBC 650年頃にかけて、北のエウボイア島では、カルキスとエレトリアという2つの隣り合った町同士がレーラントス戦争という戦争に突入し、他の都市国家もこの戦争に巻き込まれたと言われていますが、パロス島がこの戦争に巻き込まれたのかどうか分かりません。この戦争ではエーゲ海の東側にあるミーレートスサモス、西側にあるアイギーナコリントスなども巻き込まれました。あるいはこの時パロスと東隣のナクソスは敵味方に分かれて戦ったのかもしれません。その頃、パロスの強みであった大理石はまだギリシアではあまり需要がありませんでした。その頃のパロスの経済を支えていたのは、漁業とイチジクだったようです。少し時代が下りますがBC 650年頃、パロス島出身の詩人アルキロコスはパロスからタソス島に植民する際に、以下のように歌っています。

パロスと、かのイチジクと海浜の生活とを見捨てよ。

かつては(断片しか残っていない)この詩行は当時のパロスの貧しさを表したものだと思われていましたが、考古学者の発掘によって調査したところパロスは当時も裕福な町だったそうです。パロスのイチジクはこの頃の名産品だったのでしょう。BC 680年頃にはパロス人は北のタソス島へ植民します。そのきっかけは、地母神デーメーテールの神官だったテレシクレースが次のようなデルポイの(アポローン神の)神託を受けたことであったと伝えられています。

テレシクレスよ。パロス人に私が命ずるままに伝えよ。
霧立ちこめる島に、姿明らかなる町を建てよと。


アルキロコスについて: ギリシア植民時代の詩人」藤縄謙三著 より

この神託を受けてテレシクレースは、パロス人有志とともに船を北に進め、「霧立ちこめる」タソス島に植民したのでした。