神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

パロス(13):彫刻家たち

パロスの大理石が古代ギリシアで珍重されていたことは、前にも述べました。USAのWikipediaの「パロスの大理石」の項を見ると、パロスの大理石で作られた有名な美術品が紹介されています。その中には、以下のものがあります。




      ミロのヴィーナス





サモトラケのニケ




パルテノン神殿の屋根のタイル





初代ローマ皇帝アウグストゥスの像


ずっと現代に近い時代のものには、「ナポレオンの墓」というのもありました。


「ナポレオンの墓」というのは、これのこと(アンヴァリッド)でしょうか?


大理石で有名なパロスですが、パロス出身の彫刻家がいないか調べたところ、アゴラクリトスとスコパスという2人の彫刻家を見つけました。2人しか見つからなかったので意外と少ないと感じました。どちらの彫刻家も、その生涯についての情報は少ないです。


アゴラクリトスの活躍した年代はBC 436〜424年と記録されています。彼はアテーナイの有名な彫刻家ペイディアスの弟子でした。ペイディアスはアテーナイのパルテノン神殿に安置された女神アテーナーの巨像(今は残っていない)を製作したことで有名です。パルテノン神殿建設の総監督に任命されていたという伝えもあります。アゴラクリトスはそのペイディアスの弟子だったわけですが、彼には次のような逸話が伝わっています。


ある時アゴラクリトスは、ペイディアスの別の弟子であったアルカメネースと、愛と美の女神アプロディーテーの彫像を作ることで競い合いました。その優劣を審判するアテーナイ人たちはアルカメネースがアテーナイ出身であるのに対しアゴラクリトスがパロスの出身というよそ者だったために(とアゴラクリトスには思われた)、アルカメネースに勝利を与えました。怒ったアゴラクリトスは自分のアプロディーテーの像を少し手直しして復讐の女神ネメシスに作り変えました。そして、これをアテーナイ近郊のラムヌースの人々に売りました。そこには復讐の女神ネメシスの神殿があったからです。アゴラクリトスは、ラムヌースの人々にこの像を売る際に、この像をアテーナイには決して設置しないように、と条件を付けました。この神像は約4メートルの高さがあり、その美しさはのちのちまで評判になりました。この神像は後の時代に、キリスト教徒によって破壊されたようです。


アゴラクリトスより30年ほど遅れて活躍したパロス出身の彫刻家がアリスタンドロスです。そしてそのアリスタンドロスの息子がスコパスで、彼は有名な彫刻家になり、建築家にもなりました。彼の有名な仕事のひとつは、ハリカルナッソスに建設されたマウソレウム(マウソロス霊廟)を飾る彫刻群で、それはギリシア人とアマゾーン族の戦いを描いたものでした。マウソレウムは世界の七不思議の一つにも数えられた巨大な霊廟でした。マウソレウムについては「ハリカルナッソス(13):ヘカトムノスの一族」を参照下さい。そのほかにもスコパスの手になる有名な彫像はいくつもあるのですが、どれも現存せず、ローマ時代のコピーが残っているだけなのだそうです。



イスタンブールにあるマウソレウムのミニチュア模型



スコパス作とされる戦争の神アレースの像。ローマ時代のコピー。