神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

パロス(2):ミノア文明下のパロス

ロス島はキュクラデス諸島に属しています。キュクラデス(Kykládes)というのは、英語のcircleと同じ語源で、「円」を意味します。神聖なデーロス島をめぐって島々が円をなして配置されている、という意味で古代からキュクラデスと名付けられています。でも地図で見るとデーロス島はけっして中心に位置しておらず、それを取り囲む島々も「円」ではなくて、かなり縦に細長い感じに並んでいます。



このキュクラデス諸島には、BC 3000年からBC 2000年の間、キュクラデス文明という独自の文明が栄えていました。キュクラデス文明で特徴的なのは、大理石を彫って作られた抽象的な彫刻の数々です。それらはまるで20世紀の抽象美術のような彫刻なのでした。パロス島はこれらの彫像のための大理石を供給しました。この頃はまだ大理石を採掘する技術はなく、落ちている大理石を拾って加工していたようです。このキュクラデス文明はBC 1700年頃からクレータ島のミノア文明の影響を受けてきます。



ギリシア神話に登場するクレータ島のクノッソスの王ミーノースは、このミノア文明の記憶を反映していると考えられています。パロス島に関わるギリシア神話・伝説はほとんどないのですが、その数少ない伝説の一つにミーノース王がパロス島で、典雅の女神たちカリテスを礼拝したことが伝えられています。この時にミーノースは、自分の息子アンドロゲオースがアテーナイで死んだ(事故死?)という知らせを受けたのでした。

アンドロゲオース
クレータ王ミーノースとパーシパエーの子。運動競技に秀れ、パンアテーナイア祭ですべての相手を負かしたために、テーバイに赴く途中で負けた者たちに殺されたとも、アイゲウス王がマラトーンの牡牛退治にやり、牡牛に殺されたともいう。この報をミーノースはパロス島でカリス女神への捧物の最中に受け、頭飾を投じ、音楽を止めたので、パロスではその後この女神たちへの犠牲には頭飾も音楽も用いなくなった。ミーノースはアテーナイに兵を進め、包囲し、各七人の少年少女をミーノータウロスの犠牲に毎年捧げる約束をさせたのち兵をかえした。


高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」より

この話は「ナクソス(4):アリアドネー(1)」に続きます。


それはともかく、パロスに関して大切なのは、この伝説によればこの頃パロスはクレータ島の支配下にあったということです。そして、この話は、パロスのカリスたち(複数形でカリテスといいます)への祭祀において「頭飾も音楽も用いな」い理由を説明する由来譚になっています。ミノア文明の担い手がどの民族であったかは、まだ解明されていません。ミノア文明で用いられていた文字が発見されており、それは線文字Aと呼ばれているのですが、この線文字Aはまだ解読されていません。ただし、多くの学者は線文字Aが表す言語はギリシア語ではない、と考えています。ではミノア文明の担い手はどのような民族なのでしょうか? 有力な説の1つに、それはフェニキアである、というものがあります。ギリシア神話によればミーノースは、神々の王ゼウスとエウローペーという人間の女性の間に生まれたことになっていますが、このエウローペーはフェニキアの王女と伝えられています。ゼウスが牡牛に化けてエウローペーをフェニキア(今のレバノンあたり)からさらっていった話は「テーラ(3):エウローペーを探すカドモス」に書きました。



(左:牡牛に化けてエウローペーをさらうゼウス)


今回、パロス島の西にあるアンティパロス島の記事を検索していて、アンティパロス島の元の名前がフェニキア語の名前らしい、という記事を見つけました。そうだとすると、この頃パロス島フェニキア人(あるいはその祖先)が住んでいたのでしょうか? ともあれ、その記事をご紹介します。

島の古代の名前は「オリアロス」でした。これはおそらくフェニキア起源の言葉で、「森の山」を意味します。 その後、島は「アンティパロス」と名付けられました。


USAのWikipediaの「アンティパロス」の項の「語源」のセクション」より


ただし、ミノア文明が滅んだあとにフェニキア人がパロス島とアンティパロス島にやってきて名前をつけた可能性も考えられます。