神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

トロイア(13):パラディオンの行方

前回の記事で、天から降りて来たという聖像パラディオンのことに少し触れたので、この聖像の行方についてお話しします。考古学から急に伝説の話に戻ってすみません。


パラディオンは、それを保持している町を守る力があると考えられていました。それはかつてトロイアにあったと伝説は述べています。そしてトロイアは滅びたのでした。そうするとパラディオンはどこに行ったのでしょうか? これについてはいろいろな説があります。


一番古い説と思われるのは、トロイア戦争のさ中に、ギリシアの将ディオメーデースがトロイアに忍び込んで奪い取り、それを自分の故郷のアルゴスに持ち帰った、というものです。ディオメーデースがパラディオンを盗み出すに至るまでには、以下のようなことがあったと伝えられています。


トロイア戦争当時のトロイアの老王プリアモスには50名の息子がいたのですが、その中の一人ヘレノスは予言の力を持っていました。トロイア戦争で美女ヘレネーの夫だったパリスが戦死したのち、ヘレノスはヘレネーを兄弟のデーイポボスと争い、負けたのでした。それをつらく感じたヘレノスはトロイアの城を去ってイーデー山中に住んでいました。一方、ギリシア軍側にも予言者というか占い師がおり、カルカースという名前でした。カルカースは、トロイアの存立にかかわる重要な神託をヘレノスが知っていることを占いで知ったので、ギリシアの将たちに、ヘレノスを捕えるように進言しました。やがてヘレノスは捕えられ、その神託を白状させられました。パラディオンがトロイアにある限りトロイアは陥落しない、とヘレノスは告げました。このことを知ったギリシア側は、剛毅なディオメーデースと知将オデュッセウストロイアに乞食の姿に変装させて送り込んだのでした。こうしてディオメーデースはトロイアアテーナー神殿からパラディオンを盗み出したのでした。



(右:パラディオンを持ち去るディオメーデース)


ディオメーデースは戦後、パラディオーンをアルゴスに持ち帰ったとも伝えられていますが、アルゴスに持ち帰る前にアテーナイ近郊に漂着し、ディオメーデースの一行を海賊だと誤解したアテーナイの人々と戦いになり、アテーナイ人によってパラディオンは奪い去られた、という伝説もあります。これはパラディオンはアテーナイにあるのだと主張したかったアテーナイ人が作った伝説でしょう。もっと穏便に、ディオメーデースの好意によって、アテーナイ王デーモポーンに贈られた、という説もあります。


さらには、パラディオンは盗まれないままトロイアは陥落し(だとしたら、先ほどのヘレノスの神託は何だったのでしょう)、トロイアから脱出するアイネイアースが持ち出して、最終的にはイタリアに到着し、やがてローマ市建設とともにパラディオンもローマの女神ウェスタの神殿に安置された、という伝説もあります。後世のローマ人によって、トロイアの英雄の一人アイネイアースはローマ人の先祖にさせられたために、このような説も出来たのでした。アイネイアースが部下と共にトロイアを出発し、苦労を重ねながら地中海のさまざまな地方を巡ったのちに今のローマの近くに根拠地を作り、ローマの基礎を作ったという物語は、ローマの詩人ヴェルギリウスによって「アエネーイス」で歌われています。

このようにさまざまな町がパラディオンの所有を主張したのでした。