神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

パロス(1):はじめに


ロス島エーゲ海の中ほどにある島です。その東側にはすぐのところにナクソス島が迫っています。

地図を拡大するとこのようになっています。

すぐ東隣のナクソス島はパロス島より大きく、また人口も多かったのでした。そして、パロス島ナクソス島との間は8kmぐらいしかありません。このことは古代においてナクソスがパロスにとって脅威だったことを示しています。パロス島の西には小さなアンティパロス島があります。アンティというのは日本語でいう「アンチ(=反)」ということですので、この島は「反パロス島」という意味なのでしょうか? おそらくは「アンティ」というのは単に「向かう」という意味で、アンティパロス島は「パロス島に向い合っている島」という意味なのかも知れません。



国力からいって東隣のナクソスに押され気味のパロスですが、ナクソスにはない強みがありました。それはパロスは良質な大理石の産地だということです。あの有名なミロのヴィーナスもパロス産の大理石で彫られた物だと言われています。古典期のギリシアではパロス産の大理石がパロスに富をもたらしました。

パロスの大理石は白く半透明で、粗い木目と非常に美しい質感があり、島の主な富の源でした。有名な大理石の採掘場は、かつての聖ミナ修道院の少し下にある、マラティ(後にカプレッソ)として古くから知られている山の北側にあります。BC 6世紀以降に輸出された大理石は、プラクシテレスや他の偉大なギリシアの彫刻家によって使用されました。


USAのWikipediaの「パロス」の項の「大理石の採掘場」のセクションより


パロスの名の由来を調べたところ、植民の時代の頃、ペロポネーソス半島の内陸アルカディアにあるパラシアという地方出身のパロスという人物がアルカディア人を率いてパロス島に植民したために、パロスという名がついた、という伝説を見つけました。なお、パロス島は、その名を得る以前はプラテイア、デーメートリアス、ストロンギュレーなど、いろいろな名前で呼ばれていたそうです。