神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

トロイア(6):現実のトロイア

今まで伝説上のトロイアについてご紹介してきました。では、現実のトロイアはどのようなものだったのでしょう。トロイアを発掘したのは、有名なシュリーマンで、1872年のことです。私の子供の頃(50年も前のことですが)は、シュリーマンは偉人の扱いでした。シュリーマンについては、子供の頃本で読んだトロイアの陥落についての記述から強い印象を受け、いつか必ずこのトロイアを探し出して見せる、と決意したことや、そのために一生懸命働いて大金持ちになったこと、そしてその金を使ってトロイアを探し出し、当時の学者たちがトロイアは詩人ホメーロスの想像の産物に過ぎないという説に対して、発掘という事実を突きつけて反駁したこと、などが語られていました。


現代ではこれらの全てが疑われています。シュリーマンが子供の頃からトロイアに興味を持っていたというのはウソらしく、大金持ちになってから思いついたらしいですし、トロイアを想像上のものとは考えずに、正しく位置を推定していた学者はシュリーマン以前にいたということです。そしてシュリーマントロイア発掘は、彼の興味のままに進められたために、彼が無価値と判断したものは、考古学上貴重な遺跡・遺物であっても取り返しのつかないほど破壊されてしまったという問題も広く知られるようになりました。


トロイアの位置を改めて示します。

トロイアの遺跡は、古い建物の遺構の上に新しい建物が建っているというように層をなしていて、現代の考古学では9層に分けるのが一般的のようです。そしてその中のひとつの層もさらに細かく分類されています。各層がどの年代に当るかについては諸説あるようです。ここでは、USAのWikipediaのトロイアの項に出ていた、カール・ブレーゲン(1887年~1971年)の説とマンフレッド・コルフマン(1942年~2005年)の説をグラフ化したものを示します。



どちらの説も大まかな年代は一致しています。9層は下から順に「トロイアI」「トロイアII」「トロイアIII」「トロイアIV」「トロイアV」「トロイアVI」「トロイアVII」「トロイアVIII」「トロイアIX」というふうに名付けられています。「トロイアVII」はVIIa, VIIb1, VIIB2などに分けられていますが、こういう細かい点になると考古学者間で意見が異なるようです。


さて伝説のトロイア戦争がもし本当にあったとすると、その年代はBC 1200年あたりと推定されています。しかし、シュリーマンは現代では「トロイアII」と呼ばれている層まで掘り進めていってしまったのでした。そのため、その上の各層の遺跡・遺物の多くは破壊されてしまったのです。現代では、トロイアIIはトロイア戦争の頃よりも1000年は古い遺跡であり、一方、トロイア戦争に対応する層は、トロイアVIIaであると推定されています。トロイア戦争の実態を知るための貴重な情報源の多くは、シュリーマンによって破壊されてしまったのでした。


それはともかく、この都市の基礎がBC 3000年近くというとても古い時代に築かれたことには驚かされます。BC 3000年といえば、エジプトでは古王国時代よりもさらに前です。そんな頃にトロイアにどんな出来事があったのか、想像も出来ません。トロイアはとても由緒の古い都市だったということになります。