神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

パロス(9):リュサゴラス(1)

ここからは、単なる私の想像の話であり、少しでも反証が出てきたら、たちまち崩れてしまうようなお話です。そんなお話ですが、お付き合い下さい。


私の想像はヘーロドトスの次の記事を元にしたものです。

ミルティアデスはテイシアスの子リュサゴラスのことにからみ、パロスに対して怨恨を抱いていたのであった。リュサゴラスはパロスの出身で、ミルティアデスのことをペルシア人ヒュダルネスに讒訴したのである。


ヘロドトス「歴史」巻6 133 より

ヘーロドトスの「歴史」にはこの人物テイシアスの子リュサゴラスは1回しか登場しません。上の記事がその登場箇所です。ミルティアデースはアテーナイの有名な将軍ですが、かつてはペルシアに協力していた人物でした。そのミルティアデースをパロス人のリュサゴラスがペルシア人ヒュダルネスに讒訴した、とあるのですが、このヒュダルネスはペルシアの高官です。ということは、リュサゴラスはペルシアの高官とつながりがあったわけです。しかし、いつ、どのようにしてリュサゴラスはペルシアの高官とつながることが出来たのでしょうか?


(左:ミルティアデース)


もうひとつ不思議なのは、ペルシアに敵対しているはずのアテーナイの将軍にとって、ペルシアの高官に悪く思われるのがなぜ問題なのか、という点です。これはかつてミルティデースがペルシアの支配下にいた頃に、この讒訴があったと考えないとつじつまが合いません。


ところでミルティアデースがペルシアの支配下から逃れてアテーナイに来たのはBC 493年のことです。ミルティアデースは元々ピライオイというアテーナイの名門貴族の出身だったのでアテーナイ市民権を持っていたのでした。ヘーロドトスによれば、彼はかつてペルシア王ダーレイオスからの離叛を、ペルシア支配下のギリシア人僭主たちに勧めたことがあり、やがてそれがバレたためにペルシア支配下フェニキア艦隊に襲わたということです。そしてフェニキア艦隊が彼の本拠地ケルソネーソスに到着する前に、ミルティアデースはアテーナイに逃げたのでした。それまでは彼はケルソネーソスの僭主の地位にありましたが、この事件のために僭主の地位を失いました。ですので、ミルティアデースの恨みを一番かいそうな人物とは、自分がダーレイオスからの離叛をギリシア人に勧めたことを、ダーレイオスに告げた人物、あるいはダーレイオス王に直接ではなくても、その近臣に告げた人物になりそうです。


ところが、リュサゴラスがミリュティアデースのことをペルシア高官ヒュダルネスに讒訴したのがBC 493年以前のこととすると、その頃パロスはまだペルシアの支配下にありませんでした。それどころか東隣のナクソスもペルシアの支配下にありませんでした。そうするとパロス人リュサゴラスは、どこでペルシアの高官であるヒュダルネスに会うことが出来たのでしょうか? 考えられるのは、当時リュサゴラスがペルシア領に亡命していた、ということです。そして亡命の理由を考えると、政争に敗れたため、という理由が考えられます。この時より以前のことになりますが、サモスシュロソーンは、政争に敗れ、亡命して諸国を転々としたのちにペルシアに向い、ペルシアの力を借りてサモスの僭主の座を奪い取りました。もちろん、ペルシアの支配の一翼を担う形態での僭主でした。

また、ミルティアデースがアテーナイに向った頃には、遠くシシリー島(当時の呼び方ではシケリア島)のギリシア人植民市ザンクレーの僭主スキュテスも、自国の支配権を失ったのちにペルシアに亡命し、やがてペルシアの力でコース島の僭主に納まっています。私は、リュサゴラスの場合も同様であったのではないか、と想像します。そして当時パロスはナクソス支配下にあったので、リュサゴラスの亡命の原因はナクソスに対する反乱が失敗したからではないか、と想像を膨らませています。