神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

パロス(5):アルキロコス(1)

パロスの女神デーメーテールの神官にしてタソス市の建設者であったテレシクレースには、アルキロコスという名の息子がいました。この息子には次のような伝説が、パロス出土の碑文に残っています。

人々の語るところによれば、アルキロコスがまだ若かった頃、レイモーネス Leimones という田舎の村へ牛を売りに引いてゆくように、父テレシクレスによって使いに出された。彼は、月の輝く夜の間に早起きして、その牝牛を町へ引いて行った。そしてリッシデス Lissides という場所で来たとき、女たちの群を見たように思った。この女たちは仕事を終えて町へ戻るのだろうと彼は考えて、近づきながら冗談を言った。女たちは戯れて笑いながら彼に応対し、その牛を売りに連れてゆくのかと尋ねた。その通りだと答えると、女たちは、自分たちが相当な価格を彼に支払うだろうと語った。このように女たちが語ると、彼女らも牛も姿を消してしまい、彼は足もとに竪琴があるのを見つけた。彼は驚愕したが、しばらくして正気に戻ると、彼に顕現したのはムーサたちであり、彼に竪琴を授け給うたのだと悟った。そして、それを拾い上げて、町への道を進み、事件を父に報告した。
 テレシクレスはそれを聴き、また竪琴を見て、驚いた。まず最初に島中を、牛を探してまわったが、発見できなかった。しかし、その後、彼はリュカンベスと共に、市民たちによって、ポリスのために神託を乞うための神託使に選ばれた。そして、自分たちの一身上の事件についても尋ねようと、それだけ乗気になって旅に出た。
 彼らが神託所へ到着して、入ってゆくと神はテレシクレスに次のような託宣を告げた。

 テレシクレスよ、船から祖国の地へ上陸したとき、
お前に最初に声をかけた息子は、
人間界で不死となり、詩歌にも歌われるであろう。

さて彼らがアルテミス祭の時にパロスへ帰ると、子供たちのうちアルキロコスが最初に父に出遭い、声をかけた。そして家に着いて、テレクシレスが、すでに日も暮れるので、必需品は充分あるかと尋ねると、・・・・


アルキロコスについて: ギリシア植民時代の詩人」藤縄謙三著 より

残念ながら、この先は碑文の破損が激しく、読めません。上の引用に登場するムーサは芸術の女神たちで、英語でいうところのミューズです。若いアルキロコスが人間の女性たちだと思っていたのが実は女神たちだった、ということです。そしてムーサたちは彼に詩歌の才能を授け、その代償に牛を一頭さらっていったのでした。次に父親のテレシクレースがパロスの政府によってデルポイへ神託を聞くために派遣された時、ついでにこの神変の意味を尋ねたのでした。その時神託は、パロスに帰国した際に最初に声を掛けた息子が後世にまで続く名声を得ることを告げました。そしてテレクシレースがパロスに戻った際に最初に声を掛けた息子がアルキロコスであったので、神託が指していた息子はアルキロコスだった、ということが分かったのでした。


なお、上の引用した藤縄謙三氏(京都大学名誉教授 2000年没、西洋古典学者)の「アルキロコスについて: ギリシア植民時代の詩人」という論説は、アルキロコスの詩の断片を多く収録し、アルキロコスに関する情報満載で、大変参考になりました。こんな素敵なものを無料で読めることに感謝しております。


さてアルキロコスは長じて詩人になったのですが、それは日本人が考える詩人とは趣きが随分異なります。彼は自分のことを、詩人にして同時に戦士であると宣言しています。

われこそはエニュアリオス(軍神)さまの従卒のいちにんにして
また 詩歌女神(ムウサ)がたの麗わしい賜ものにも長(た)けたるもの(ウェスト、断片一)



ヘシオドス「神統記」 廣川洋一訳 の解説より

ただし残念なことに、彼の詩で完全に残っているものはひとつもありません。


アルキロコス


アルキロコスがパロスで体験したことのひとつに日蝕があります。天文学によれば、これはBC 648年4月6日のことだそうです。彼は日蝕に非常に驚き、以下のように詠っています。

物事には、予期はずれのことも、誓って不可能だと言えることも、
不思議なこともないのだ。オリュンポスの神々の父ゼウスが、
輝く太陽の光を隠して、真昼から夜にしてしまったのだから。
そして人間どもは恐怖で青ざめたのであった。
この時から、人々の間で万事が信じがたく、また何事でも
予期されるのだ。もはや諸君のうち誰一人として驚いてはならぬ。
たとえ諸君の眼前で獣どもが海豚に代って海の牧場に移り住み、
そして海の怒涛の方が、陸地よりも気に入ってしまい、
また海豚が山に潜るのを好きになったとしても。    (74D)


アルキロコスについて: ギリシア植民時代の詩人」藤縄謙三著 より

この詩によれば、当時のパロスの人々は日蝕を見て「恐怖で青ざめ」、「この時から、人々の間で万事が信じがたく」なってしまったのでした。


また、これはアルキロコスが体験したことではないですが、小アジア内陸のリュディア王国の王ギュゲースがリュディアの王位を簒奪したいきさつをアルキロコスは知っていました。

それからカンダウレス(リュディアの国王)が横になると、ギュゲスは抜け出して王を殺し、妃と王国とを二つながらわがものとしたのだが、このギュゲスの話は、同じ頃の人であるパロスの詩人アルキロコスも、そのイアンボス六脚詩に歌っている。


ヘロドトス著 歴史 巻1、12 から

ギュゲースがリュディアの王位を簒奪したことを物語るアルキロコスの詩が残っていればよいのですが、それは残っていません。その代わり、ギュゲースに言及した以下の断片が残っています。

黄金に富むギュゲスのことなど、気になるものか、
妬んだことなど一度もない。神々の為さることをも、
羨みはしない。王の大権も欲しくはない。
どれも私の眼から遠く離れているのだ。 (22D)


アルキロコスについて: ギリシア植民時代の詩人」藤縄謙三著 より

ギュゲースはエーゲ海東岸のギリシア人都市コロポーンを占領していました。しかし、内陸からやってきた遊牧民族キンメリア人と戦って戦死したのでした。そのような小アジアの動乱もアルキロコスは聞き知っていたかもしれません。それにしても上の詩は醒めた感性を感じさせます。彼は本心かどうか分かりませんが、富にも権力にも関心がない、と唱っています(「どれも私の眼から遠く離れているのだ」)。それでは彼は自分の人生で何を追い求めていたのでしょうか? 私にはそれが分かりません。このような醒めた感性を持ちながら、彼は世捨て人ではなく、ポリス(都市国家)が彼に市民の義務として課す戦いに従事したのでした。