神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

トロイア(7):トロイア人はギリシア人か?

ギリシア神話に登場するトロイア人ですが、彼らは何人だったのでしょうか? ギリシア人だったのでしょうか? イーリアスでは、対戦する武将たちは互いに相手を威嚇する言葉を投げつけていたりしており、ギリシア人とトロイア人は言葉が通じていたように描写しています。たとえばギリシア側の勇士アキレウストロイア側の将アイネイアースは戦場で以下のようにやり取りをしています。

さても二人が 互いに対(むか)って進み寄り、いよいよ間近になったおり、
先を越して、勇ましく脚の迅(はや)いアキレウスが話しかけるよう、
アイネイアースよ、どうして御身は、これほど遠く群を出て来て
立ち対うのか。・・・・
言っておくが、前にもいつか 御身を槍で敗亡させたことがあった。
・・・だが御身を ゼウスや他の神々たちが 助けたもうた。
しかし今度は、お助けなされはすまいよ、御身が心に
当て込むようには。それ故、私が勧めてやるのだ。早々退(さが)って
群集の中へ入ったがいいと。――私に対(むか)って立ちなどせずに、
何か酷い目を見ない内にだ。見てから悟るは間抜けのすること。」
 それに対(むか)って今度はアイネイアースが、声をあげて答えるようには、
「ペーレウスの子よ、けして私を口先でもって、小童(こわっぱ)みたいに
脅せるものと思ってくれるな、私とて十分劇(はげ)しい言葉も
また悪口だとても 言い方はよく心得ている者なのだから。
・・・・・
だが勇戦を切に求めるこの私を 言葉でもって追い返しは
できなかろう。青銅(かね)(の刃)で面と対(むか)って闘わぬうちは。それ故
さあ、一寸(ちっと)も早く青銅を穿(は)めた 槍で対手を試して見ようよ。」


ホメーロスイーリアス」第20書 呉茂一訳 より

とはいえ、互いの言葉が通じるというのは叙事詩における約束事であって、そうでなければ、叙事詩の聞き手の興味を引かないから、こうなったのでしょう。


考古学はこれについて何かを主張できるでしょうか? トロイアの遺跡からギリシア語の文書が見つかれば、トロイア人がギリシア語を話していた可能性が高まります。この頃のギリシアで使われていた文字はいわゆるギリシア文字ではなく、線文字Bという20世紀になってやっと解読された文字でした。

(上:線文字B


しかし線文字Bトロイアでは見つかっていないということです。ではほかの言語の文書は見つかったのでしょうか? USAのWikipediaの「トロイア」の項によれば、1995年にトロイアルウィ語の印章が見つかった、ということです。ルウィ語というのは印欧語族アナトリア語派に属する言語で、今は死語になった言語のひとつです。ギリシア語は同じ印欧語族に属しますが、ギリシア語派という別の語派に属します。語派が違えば言語はかなり違ったようです。たとえば英語は印欧語族のゲルマン語派に属しますが、ロシア語は印欧語族のスラブ語派に属します。なので、ギリシア語とルウィ語は、英語とロシア語ぐらいの差があるのではないでしょうか? ルウィ語の印章が見つかったといってもそこから直ちにトロイアで話されていた言語がルウィ語だという結論にはなりませんが、ルウィ語を話していた可能性は大きいと言えます。つまり、トロイア人はどうやらギリシア人とは別の民族だったようです。

(上:トロイアVIIb層で見つかったルウィ語象形文字の印章)


しかしルウィ語と聞かされても、ピンときません。そこでもう少し調べてみたところ、アナトリア語派にはほかにヒッタイト語が属していることが分かりました。そして私は、トロイア戦争があったと推定される時代に、アナトリア(=小アジア)にはヒッタイト王国があったことに気づきました。そこでトロイアヒッタイトの方から調べる必要がありそうだと感じました。

(上:ヒッタイト王国の遺跡。ライオンの門。)