神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エピダウロス(4):デーイポンテース

古典時代(BC 5~4世紀)にはエピダウロスはドーリス人の町でした。しかし伝説によれば以前はイオーンの子孫のピテュレウスがエピダウロスの王位にあり、住民もイオーニア人でした。ピテュレウスはエピダウロスのイオーニア人の最後の王になりました。

ドーリス人がペロポネーソスに到着する前の最後の王は、クスートスの子イオーンの子孫であるピテュレウスであり、彼が戦いなしにデーイポンテースとアルゴス人に土地を譲ったと彼らは言います。


パウサニアース「ギリシア案内記」2.26.1より

ドーリス人がエピダウロスにやってきた時、このドーリス人を率いて来たのは西隣の国アルゴスの人デーイポンテースでした。デーイポンテースはヘーラクレースの子孫でアルゴスの王テーメノスの娘ヒュルネートーと結婚していました。テーメノス自身もヘーラクレースの子孫であり、兄弟と共にドーリス人を率いてペロポネーソス半島に侵入して占領したのでした。そして占領した土地を兄弟と分配する際にくじを引いて、テーメノスはアルゴスの土地を引き当てたのでした。


さてテーメノスには息子たちがいたのですが、娘婿のデーイポンテースの器量を認め、自分の息子たちよりも大切にしていました。そのためテーメノスの息子たちはアルゴスの王位がデーイポンテースに継承されるのではないかと恐れて、ついには父親のテーメノスを殺してしまいました。しかし、アルゴス市民がデーイポンテースの王位継承を支持したため、テーメノスの息子たちの王位奪取は失敗しました。彼らは国外に亡命すると今度は国外の勢力の助けを借りてアルゴスを攻め、デーイポンテースをアルゴスから追い出しました。代わって亡命者となったデーイポンテースは隣国のエピダウロスに遁れたのでした。上のパウサニアースの引用にあるように、当時のエピダウロス王はイオーンの子孫のピテュレウスでしたが、彼はなぜかデーイポンテースに自分の国を譲り、国内のイオーニア人たちを連れてアテーナイに移住します。パウサニアースは上の引用にあるように「戦いなしに」と書いてあるので、パウサニアースによればこれは平和的な移譲だったようです。しかし、自分の国を他の部族に渡すというのは重大なことです。ピテュレウスにどのような事情があってこのような決断をしたのかをパウサニアースの記述からはうかがうことが出来ません。この時、おそらくピテュレウスの決定に反対したからでしょうが、ピテュレウスの息子プロクレースは一部の民衆を率いてエーゲ海に浮かぶ島であるサモス島に移住しました。これがサモスの町の起源になります。


こうしてデーイポンテースがエピダウロス王になります。彼とお妃のヒュルネートーについては以下のような伝説があります。

(テーメノスの子)ケイソスと、テーメノスの他の息子たちは、デーイポンテースとヒュルネートーを別れさせる方法を見つけることができれば、デーイポンテースを最も悲しませることが出来ることを知っていました。そこで、ケリュネースとパルケース(中略)がエピダウロスにやって来ました。彼らは戦車を壁の下に置いたまま、妹と交渉したいふりをして、妹に使者を送りました。


彼女が彼らの呼出しに応じたとき、この若い男たちはデーイポンテースに対して多くの告発をし始め、とりわけ、デーイポンテースよりもあらゆる点で優れた夫に、つまりより多くの臣民とより繫栄した国を支配する人物と、彼女を結婚させることを約束して、彼女がアルゴスに戻ることを彼女に強く求めました。しかし、ヒュルネートーは彼らの言葉に苦しみ、彼女が受け取ったのと同等の言葉を与え、以下のように反論しました。「デーイポンテースは私にとって愛する夫であり、テーメノスにとっては非難のない婿であった。あなたたちはと言えば、テーメノスの息子たちではなくむしろ殺人者と呼ばれるべきである。」と。


これに返事することなく若者たちは彼女を捕まえ、戦車に乗せて走り去りました。あるエピダウロス人がデーイポンテースに、ケリュネースとパルセースがヒュルネートーをその意志に反して連れ去ったと告げました。彼自身が全速力で救助に駆けつけ、エピダウロス人たちがそのしらせを知ったとき、彼らは彼を助けました。逃亡者たちに追いつくと、デーイポンテースはケリュネースを撃ち殺したが、ヒュルネートーを抱いていたパルセースを撃つのは、失敗して妻を殺してしまうことを恐れて躊躇しました。それでデーイポンテースは彼らに近づいて彼女を逃がそうとしました。 しかし、パルセースはより荒々しく彼女を捕まえ引きずったところ、彼女は妊娠していたので死んでしまいました。


パウサニアース「ギリシア案内記」2.28. 3~5より


デーイポンテースとエピダウロス人たちは、ヒュルネートーをのちにヒュルネティオンと呼ばれた土地に葬り、彼女のために神殿を建て、彼女を神として祭ったということです。