神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エピダウロス(11):その後のエピダウロス

エピダウロスは独立した都市国家としての命運は尽きていましたが、アスクレーピエイオンの霊験についての名声はその後長く続きました。エピダウロスがローマの支配下に入っても、その名声は続いていました。話はエピダウロスから離れてしまいますが、アスクレーピオスとエジプトの神イムホテプの関りについて、ここで少しご紹介したいと思います。


エジプトの神イムホテプは、歴史上のエジプト人でした。彼が生きていた時代はBC 27世紀という(古代のギリシア人にとっても想像がつかないような)とてつもない昔のことです。彼は当時のエジプト王国の宰相で、王のために階段ピラミッドを考案した建築家でもありました。彼は医者ではなかったようですが、彼が死んで2000年後には病を治療する神であるとエジプト人たちの間で見なされるようになりました。このために、後にギリシア人がイムホテプを自分たちの神話世界の似たような神アスクレーピオスと同一視したのでした。この融合から、さらに不思議な人物像が発展していきました。BC 3世紀からAD 3世紀の間にエジプトの首都アレキサンドリアで書かれたと推定される一連の宗教的文書として「ヘルメース選集」なるものがあります。この文書群に記された思想は、私の考えでは(素人の考えですが)プラトーンの思想とユダヤ教の両方が混ざっているように見えます。それは一神教的であり、かつ古代ギリシアの哲学的用語を駆使した独特の世界観を示しています。その文書のいくつかにアスクレーピオスは、奥義を学ぶ人間として登場しています。彼に奥義を授けているのはヘルメース・トリスメギストスという名前の賢者でした。ヘルメース選集の文章は難解で、とても私には理解出来ません。ですので、その中でアスクレーピオスが登場する箇所の例をご紹介するだけに留めます。

「その言葉は反論できません、トリスメギストスよ。それでは、その中で一切が動いている場所についてはどのように語ってきたのですか」。
「非体的なものとしてである、アスクレーピオスよ」。
「では、非体的なものとは何ですか」。
「それは、全体が全体によって自らを包んでいる叡知であって、一切の体から束縛されず、遊行せず、受動せず、触れ得ず、自ら自己の内に静止し、万物を包容し、存在するものを支えている。善、真理、霊気の原型、魂の原型は、光線のように、それから発するのである」。
「それでは神とは何ですか」。
「神はこれらのものの一つではなく、これらのものにとっても、万物にとっても、存在するあらゆるものの各々にとっても、存在の原因である。


ヘルメス選集Ⅱ 荒井献+柴田有 訳 より

エピダウロスのアスクレーピエイオンにイムホテプを祭った神殿があることから、当時の信者は上のような神秘主義の教説の存在も知っていたのかもしれないと、私は想像しました。


さて話は変わります。AD2世紀の人パウサニアースは、当時のエピダウロスのアスクレーピエイオンにさまざまな寄進をしたローマの元老院議員のことを記しています。

ローマの元老院議員アントニヌスは、私たちの時代にアスクレーピオスの浴場と彼らが「豊かな」と呼ぶ神々の聖域を作りました。彼はまた、健康や、アスクレーピオス、アポローンの神殿を作りましたが、アスクレーピオスとアポローンエジプト人とあだ名を得ました。彼はさらに、コティスの柱廊玄関と名付けられた、屋根を失った後レンガは燃えておらず完全に廃墟となった柱廊玄関を復元しました。聖域の周辺のエピダウロス人が、女性が出産するための避難所がなく病人は野外で息を引き取っていたことを、非常に苦にしていたので、彼は住居を提供し、これらの不満も是正されました。ついにここで罪なしに人は死ぬことができ、女性は出産することができる場所が出来たのでした。


パウサニアース「ギリシア案内記」2.27.6より

終わりのほうの文章はちょっと分かりづらいかもしれません。アスクレーピエイオンは神聖な土地とされていたために、そこで人が死亡することや出産することが禁じられていました。日本でも厳島神社のある宮島では、昔は島の中で出産や葬式が禁じられていたそうです。同じような風習のあったエピダウロスのアスクレーピエイオンでは、この風習が周辺の住民の重荷になっていたということです。そして、死につつある人々や出産する妊婦のための建物をこの元老院議員アントニヌスは作ったということです。ローマ帝国の最高レベルの支配階級に属するローマの元老院議員が寄進したほどですから、当時のエピダウロスのアスクレーピエイオンの評判が推測出来ます。


さらにローマの国教がキリスト教に変ってからもエピダウロスのアスクレーピエイオンは信者・嘆願者によって栄え、聖域はAD 5世紀中頃まで続いたということです。アスクレーピエイオンが衰退してからのエピダウロスについては私の力では調べることが出来ませんので、ここで私のエピダウロスについての話を終わります。読んで下さりありがとうございます。