神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

トロイゼーン(12):カラウレイア同盟

ダミアーとアウクセーシアーの伝説は、その中に「反対派」という言葉が出て来ることから、王家の力が衰弱して貴族間の党派争いが盛んになったBC 8~6世紀のアルカイック期のこととして考えるとしっくりすると思ったので、この位置でご紹介しました。この頃のトロイゼーンについてはほとんど逸話が見つからないので記述が難しいのですが、貴族間の党争が激しいということは、政治の安定を図るために不満分子を植民に送り出すことも多かったことでしょう。すでにお話ししたハリカルナッソスへの植民もそうだったのかもしれません。BC 720年頃には、トロイゼーンはイタリア半島の南部にシュバリスを建設しました。シュバリスは近郊の肥沃な大地と人気の高い港のために非常に繁栄し、シュバリスの名は贅沢な生活の代名詞になりました。しかし、BC445年にはシュバリスは滅亡してしまいました。


この頃の話題としては、カラウレイア同盟の話題があります。トロイゼーンの海岸から歩いて行けるほど近くにスパイリアという島があることは「(4):テーセウスの誕生(2)」でご紹介しました。このスパイリア島にはカラウレイア島という島が隣接しています。カラウレイア島はスパイリア島よりもずっと大きな島で、今では、スパイリア島と合わせてポロス島と呼ばれています。このカラウレイア島には海神ポセイドーンの神殿があります。ポセイドーンは女神アテーナーと並んでトロイゼーンの守護神でした。

(上:カラウレイア島のポセイドーンの聖域)


紀元前後の人ストラボーンによれば、かつてこのポセイドーン神殿を中心とする都市同盟があったといいます。英語版Wikipediaの「カラウレイア」の項にはストラボーンからの引用が載っていました。

そして、この神殿に関連して一種のアンピクテュオニー(=隣保同盟)もあった。それは犠牲を分け合う7つの都市の同盟であった。それらの都市はヘルミオネーエピダウロスアイギーナ、アテーナイ、プラシアイ、ナウプリオ、ミニュアイのオルコメノスである。しかし、アルゴス人はナウプリオ人に会費を支払い、ラケダイモーン人はプラシアイ人に支払っていた。(ストラボーン 地理誌viii.6.14。)


英語版Wikipediaの「カラウレイア」の項より

下の地図に同盟に参加している7つの町の位置を記してみました。


奇妙なことに同盟の中心地であるカラウレイア島に至近距離のトロイゼーンが同盟参加都市のリストに入っていません。これはどう考えたらよいのでしょうか? 一つの解釈は、カラウレイアがトロイゼーンに属することは当時の読者には周知のことなので、同盟参加都市のリストにおいてトロイゼーンの名前を省略した、というものです。しかし、上の引用でストラボーンは「7つの都市の同盟であった」と書いています。そうすると、本当にトロイゼーンはこの同盟に参加していなかったのかもしれません。しかし、トロイゼーンが参加しない同盟の中心地がトロイゼーン領であるカラウレイア島に置かれているのは非常に奇妙です。これについてですが、現代の学者たちの多くはこのカラウレイア同盟の存在を疑問視しているとのことです。英語版Wikipediaの「ポロス」の項には、以下のように書かれています。

現代の考古学は、その実際の存在の証拠を発見しておらず、現在では「カラウレイア同盟」が後のヘレニズム時代の創作であると信じている。


英語版Wikipediaの「ポロス」の項より

時代が下ったヘレニズム時代に、この同盟の復活を祝う行事が行われたのは事実だそうです。しかしそれは実際には復活ではなく、同盟がかつてあったということを当時の人々が創作したということらしいです。


しかし私にはこのことが新たな疑問を呼び起こします。もし同盟の存在が後世の創作だったとすると、その創作者はなぜトロイゼーンを参加都市のリストに入れなかったのだろうか、という疑問です。参加都市のリストに入れるほうがよっぽどもっともらしく見えるだろうと思うのです。ならば、やはりこの同盟はかつてアルカイック期に存在したのでしょうか? しかしそうだとしてもやはりカラウレイア島のポセイドーン神殿が、トロイゼーンが参加しない同盟の中心地であるというのも不自然な話です。ですので、この同盟の真偽は私には判断がつきません。ところでBC 520年頃にサモス人ヘルミオネーからヒュドレイア島を買い取って、それをトロイゼーンの管理に委ねたと、ヘーロドトスは述べています。

サモス人たちは金を払ってヘルミオネ人から島を一つ手に入れた。ペロポネーソス附近に浮ぶヒュドレイアという島で、彼らはこの島をトロイゼン人の管理に委ねておいた。


ヘロドトス著「歴史」巻3、59 から

そうするとカラウレイア島よりもトロイゼーンから遠いヒュドレイア島もトロイゼーンの管轄地だったことになります。そうであれば、近くにあるカラウレイア島はやはりトロイゼーン領だったと考えるべきなのでしょう。