神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

トロイゼーン(10):ダミアーとアウクセーシアー

ここでいつの時代のことかよく分からない伝説を紹介します。パウサニアースが記しているものです。

ダミアーとアウクセーシアー(トロイゼーン人にとっても、彼女たちの崇拝を分かち合う)については、彼ら(=トロイゼーン人)はエピダウロス人やアイギーナ人と同じ説明をせず、彼女たちがクレータ島から来た娘たちであったと言います。市内で起こった一般的な暴動は、この乙女たちもまた、反対派によって石打ちによって殺されたと彼らは言います。そして彼らは石投げと呼ぶ彼女たちに捧げる祭を開催します。


パウサニアース「ギリシア案内記」2.32.2より

ダミアーとアウクセーシアーという娘たちはクレータ島からトロイゼーンにやってきたのですが、暴動に巻き込まれて石打ちによって殺された、というとんでもない伝説です。そして理由はよく分からないですが、彼女たちは崇拝を受けるようになり、彼女たちに捧げる石投げ祭がトロイゼーンでは挙行された、と上の伝説はいいます。


このダミアーとアウクセーシアーがエピダウロスとアイギーナでも崇拝されていたことをヘーロドトスは伝えています。ヘーロドトスによればエピダウロス(トロイゼーンの北にある町)が不作に悩んだ時に、この2人の娘たちを女神として祭ったということです。

エピダウロス穀物の不作に悩んでいたことがあった。そこでエピダウロス人は、この天災についてデルポイの神託を伺ったのである。巫女はダミア、アウクセシア二女神の神像を奉安せよと告げ、そうすれば事態は好転しようといった。そこでエピダウロス人が、神像は青銅製にすべきか、それとも石材を用いるべきかと訊ねたところ、巫女はそのどちらも宜しからず、栽培したオリーヴの材を用いよと告げた。


ヘロドトス著「歴史」巻5、82 から

ここではダミアーとアウクセーシアーは女神であるとはっきり書いてあります。また、話の筋から、不作の時に崇めるべき女神たちのようなので、ダミアーとアウクセーシアーは豊饒の女神たちと推測出来ます。トロイゼーン人は、この二女神がかつては人間の娘たちで、クレータ島の出身であった、と伝えているわけです。そして2人は石に打たれて死ぬという悲惨な目にあったと伝えているのですが、この伝説にはどのような意味があるのでしょうか? パウサニアースの記述は短すぎて、その意味が読み取れません。


ところでアイギーナでは、この二女神は以下のように祭られていたということです。

神像をこの地に奉安してからは、神意を慰めるために供犠のほか、悪口雑言を歌う女ばかりの歌舞を催し、この目的のために二女神のそれぞれに十人ずつの歌舞勧進元を任命したのである。歌舞隊の悪罵の槍玉にあがるのは、男は一人もなく、もっぱら土地の女たちであった。


ヘロドトス著「歴史」巻5、83 から

そしてエピダウロスでも同じように祭られたうえに、さらに密儀も挙行されていたと伝えています。

エピダウロスにもこれと同じ祭の儀式が行われていたが、ここではそのほかに密儀も行われていた。


同上


豊饒を司り、二女神であり、関連した密儀がある、さらに女たちによる悪罵の祭もある、と並べてみると、有名な二女神デーメーテールとペルセポネーのことを連想させます。デーメーテールは大地と豊饒の神で、ペルセポネーはデーメーテールの娘で冥界の女王です。この二女神についてはエレウーシスの密儀という有名な密儀があります。ここではペルセポネーはコレーの別名で呼ばれています。また、この二女神の祭であるテスモポリア祭は男子禁制の祭で、ここでも悪口を言い合う儀式があったということです。こう見て来るとダミアーとアウクセーシアーはデーメーテールとペルセポネーの仮の姿だったのでしょうか? しかし、パウサニアースが記しているような石投げ祭は、デーメーテールとペルセポネーとは関係がなさそうですし、デーメーテールとペルセポネーは母と娘という関係ですが、ダミアーとアウクセーシアーは友達同士という関係なのも相違しています。



(左から順にデーメーテール。トリプトレモス。ペルセポネー。)

では、ダミアーとアウクセーシアーがクレータ島から来たとされていることから、何か分からないでしょうか?