神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

トロイゼーン(7):トロイア戦争の頃

ここまではトロイゼーンの神話伝説はしっかりしているのですが、ここから以降の出来事になると急にはっきりしなくなります。それでも何とか追跡していきましょう。


ヒッポリュトスが死んだのち、トロイゼーン王の後継者は誰になったのかよく分かりません。そこでトロイア戦争を扱ったホメーロスイーリアスを調べてみたところ、トロイゼーンが登場する以下の詩句を見つけました。

 またアルゴスや、城壁に名を得たティーリンスを保つ者ども、
さてはヘルミオネー、またアシネーの深い入江を抱く邑々、
トロイゼーンからエーイオナイ、また葡萄のしげるエピダウロス
またアイギナやマセースを受領する アカイアの若殿ばら、
この者どもを率いるのは 雄叫(おたけ)びも勇ましいディオメーデー
およびステネロス、これは名もいと高いカパネウスのいとしい息子
それに三人目として続くのは神にもならぶ丈夫(ますらお)、エウリュアロスで、
ラオスの裔なるメーキステウスの殿の息子と世に聞こえた。


ホメーロスイーリアス」第2書 呉茂一訳 より

この詩句からすると、トロイア戦争の時代にはトロイゼーンは隣国アルゴスのディオメーデースの支配下にあったと推測されます。しかし、ディオメーデースが直接トロイゼーンを支配していたのではなく、配下の「アカイアの若殿ばら」の誰かがトロイゼーンをディオメーデースから受領して支配していたようです。私はその「アカイアの若殿ばら」の一人の名前を知りたいと思います。また、その人物がピッテウスの血縁の者だったかどうかも知りたいと思います。しかし、今のところそれらに関する情報を得ることが出来ていません。


パウサニアースの「ギリシア案内記」では、以下の記事のようにヒッポリュトスの神殿を始めて建立したのはアルゴスのディオメーデースであると述べています。そこを見ると、ディオメーデースがトロイゼーンを直接支配していたかのように読めます。

テーセウスの息子であるヒッポリュトスには、非常に有名な区域が捧げられており、その中には古い像を持つ神殿があります。ディオメーデーがこれらを作り、さらにヒッポリュトスに最初に犠牲を捧げたと彼らは言います。


パウサニアース「ギリシア案内記」2.32.1より


イーリアスにはトロイゼーンに関する記述がもう一つあります。それはテーセウスの母親アイトラーについてです。

こう言って女神はヘレネーの胸に、甘いはるかな憧憬(あこがれ)ごころを、
そのかみの夫へ、また都だの両親だのへと注ぎこめば、
ヘレネーは)そのまますぐと、白くかがやく麻の衣(きぬ)をひきかずいたまま、
奥の間を馳せ出る その面(おもわ)にはつぶらな涙をこぼしながら、
一人ではなく、後ろから二人の侍女が従(つ)いていった。
ピッテウスの娘アイトレーと、牝牛の眼をしたクリュネネーとが。


ホメーロスイーリアス」第3書 呉茂一訳 より

「ピッテウスの娘アイトレー」となっていますが、アイトラーのことです。叙事詩特有の方言のためアイトラーはアイトレーになっています。これはテーセウスの母親のアイトラーに違いありません。そのアイトラーがなぜかヘレネーの侍女になっています。上の引用だけでは分かりませんが、ヘレネーはこの時トロイアにいて、トロイアの王子パリスの妻になっておりました。アイトラーがトロイアにいて、しかも絶世の美女といわれるヘレネーの侍女になっていたのはどうした訳でしょう。トロイア戦争はテーセウスの死後に起きたと言われているので、アイトラーがここに登場するのは年代が合わない気がします。しかし、この話はイーリアスに登場しているので、古くからこのような伝説が存在したのでしょう。イーリアスではその背景を説明していませんが、のちの伝説によれば、以下のような経緯があったということです。

(上:ヘレネーを誘拐するテーセウス)


かつてテーセウスがまだ10歳にもならなかったヘレネーをスパルタから誘拐してアテーナイに住まわせ、母親のアイトラーにその世話をさせたということです。その後、テーセウスが冥界に下る冒険をした隙に、ヘレネーの兄たちカストールとポリュデウケース(ちなみにこの二人は双子で、のちに星座のふたご座なったということです)がアテーナイを攻めてヘレネーを奪還しました。その際にアイトラーは捕えられ、ヘレネーと一緒にスパルタに連れていかれました。テーセウスはまもなく冥界から戻りましたが、国内情勢が悪化したためアテーナイを去ることになり、アイトラーを奪還出来ないまま亡命先で死亡しました。その後ヘレネーは成人し、メネラーオスの妻となり、さらにはトロイアの王子パリスにはしって夫を捨てるという挙に出ましたが、その時にパイドラーもヘレネーと一緒にトロイアに向ったということです。