神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

トロイゼーン(2):ペロプス

サロニコス湾に名前を残したサロンの話は前回のところで終りです。このサロンからヒュペレースとアンタスに至るまでに間にいた王たちについては気になるところですが、パウサニアースは何も聞き取ることが出来なかったそうです。ともかく「(1)」でお話ししたようにヒュペレースとアンタスは海神ポセイドーンの子供たちで、そのアンタスの子アイティオスがトロイゼーンの王(その時はまだトロイゼーンとは呼ばれていなかったのですが)だった時に、ペロプスの息子たちトロイゼーンとピッテウスがやってきて、この3人がこの地方の王になったのでした。


今度は、トロイゼーンとピッテウスの父親であるペロプスについて、トロイゼーンとの関りを見ていきたいと思います。ペロプスは神話によれば、小アジアの出身だということになっています。彼はポセイドーン神に愛されて、神より翼のある戦車(2頭の馬に牽かせるもの)を与えられました。この戦車は海の上を走ることも出来たのでした。さて、その頃ギリシア本土では、ペロポネーソス半島の西側にあるピーサの王オイノマオスが娘ヒッポダメイアの婿を探していました。しかし、婿候補はヒッポダメイアを得るためにはこの王と戦車競走をして王の追跡から逃げ切らなければならないという条件が付いていました。もし王に追いつかれたらその者はその場で殺されることになっていました。そして今までの挑戦者は皆オイノマオスに追いつかれて殺されてしまっていたのでした。そのうわさを聞いてペロプスはわざわざ遠くの小アジアから、海上を走る戦車に乗ってピーサまでやってきたのでした。そうしていろいろな経緯ののち、めでたくヒッポダメイアを娶ることが出来たのですが、この話自体はトロイゼーンとはあまり関係がないので省略します。

トロイゼーンと関係のある話はこういうものです。ペロプスの戦車の御者にスパイロスという名の者がいました。ペロプスが小アジアからピーサに向かう際、彼は例の戦車を操縦していたのですが、何があったのか、途中で海に落ちて落命したと言います。ペロプスはスパイロスの墓をトロイゼーンのすぐ近くにある島に作りました。このためこの島はスパイリアという名前になったということです。この島はトロイゼーンの海岸のすぐ近くにあり、歩いて島に渡ることが出来ました。



ペロプスについては、BC 5世紀の歴史家トゥーキュディデースがこの神話を極度に非神話化して次のように述べています。

ペロポネーソス人のあいだで古くから伝わる伝承をもっとも正確に受けついでいる者たちは、次のように言う。すなわち、最初ペロプスはアシアから莫大な資産をたずさえて貧困な人間どもの住む地をおとずれ、富によって権力を貯え、自分は外来人であったにもかかわらず、その国に自分の名前をつけた(ペロポネーソスのことでその意味は「ペロプスの島」です)。その後、かれの子孫たちはさらに大きい富と権力を集積した。


トゥーキュディデース「戦史」巻1 9より

ここには海の上を走る戦車も、戦車競走を挑むピーサの王オイノマオスも登場しません。事実は単に小アジアからある民族が流入して来てペロポネーソスに定住したということなのかもしれません。もしそうだったとすると、この民族がどういう系統の民族だったのか私は気になります。すでに小アジアに進出していたギリシア人がギリシア本土に戻って来たものなのか(BC 13世紀のヒッタイトの文書の中には小アジアの町を根拠地とするギリシア人と思われる軍勢との戦いについて記したものがあります)、あるいはギリシア人ではなくたとえばカーリア人なのか、いろいろ想像してみたりします。


上の引用では、ペロプスが権力を得たのはその富による、としていますが、一方、AD 1世紀のプルータルコスは、富の量よりも子供の数によって権力を得た、としています。

ペロープスは富の量よりも子供の数によってペロポンネーソスにいた王の中で最も勢力があった。多くの娘を優れた人々に与え、多くの息子を方々の都市に支配者として植えつけた。ピッテウスというテーセウスの祖父に当る人もその中の一人で、その築いたトロイゼーンは大きな町ではなかったけれども、当時の人の間では賢明なきわめて知恵のある人として最も名声を馳せた。


プルータルコス著「テーセウス伝」 河野与一訳 より。 (旧漢字、旧かなづかいを改めました。)


さて、話をピッテウスに戻します。ピッテウスが2つの町を合併させて新しい町トロイゼーンを作った時、ピッテウスの兄トロイゼーンは既に亡くなっていたということですが、元々の王であったアイティオスは存命だったのでしょうか? それについてパウサニアースの「ギリシア案内記」は説明していません。ただ、長年ののちアイティオスの子孫が小アジアへの植民に送り出されたと書いています。