神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エピダウロス(9):アスクレーピエイオン(1)

ペルシア戦争後、エピダウロスはスパルタを中心とするペロポネーソス同盟に参加します。これと対立するのがアテーナイを中心とするデーロス同盟でした。両陣営はBC 431年に、全面的な戦争に突入します。この戦争の開始の翌年、流行病がアテーナイに発生します。当時のアテーナイは、敵襲に備えて郊外の住民を城壁で囲まれた市内に収容していたために過密状態であったので、多数の人間がこの病のために倒れました。そこで、アテーナイ政府かそれとも個人なのか分かりませんが、エピダウロスから病気治療の神アスクレーピオスを迎えてアテーナイに神殿を建てました。私が疑問に思うのは、この頃エピダウロスはアテーナイに敵対していたはずなのに、どうしてエピダウロスからアスクレーピオスを迎えることが出来たのか、ということです。これについてはまだ答えを見つけていません。


それはともかくとして、この頃にはエピダウロスのアスクレーピオス崇拝はアテーナイにおいても名声を得ていたことが分かります。そこでこの頃のエピダウロスのアスクレーピオスの神殿、さらにはそれを中心とする聖域アスクレーピエイオンの様子をご紹介したいと思います。



(左:アスクレーピオス神)


アスクレーピエイオンの遺跡には、BC 4世紀に書かれたと推定される碑文が残っています。今扱っている時代より1世紀のちのことになりますが、そこに書かれたアスクレーピオスの霊験譚は、おそらくBC 5世紀頃のものでしょう。ネットで調べたところ、土屋睦廣(つちや・むつひろ)氏という方の「アスクレピオスの「癒しの事績」:古代ギリシアにおける癒しの信仰 2008年」という論文が見つかりました。土屋氏は日本大学の准教授のようです(この論文執筆時は、早稲田大学講師)。ここから、私の興味を惹いた箇所をご紹介します。これらの碑文はアスクレーピオス神殿を参拝して病が治ったという霊験を記したものです。最初にご紹介する話は、ある女性が5年間も妊娠していたという話ですが、そんなことはとても信じられません。

クレオは5年間身ごもっていた。この者はすでに5年も身ごもったままだったので、嘆願者として神のもとへやって来て、アバトンの中で眠りに就いた。そこから立ち去って聖域の外へ出たとたん、彼女は男の子を産んだ。その子は生まれるとすぐに、自分で泉の水で身体を洗い、母親について歩き回った。このような幸運に恵まれた彼女は、奉納品の上に次のように刻んだ。「驚嘆すべきは奉納板の大きさではなく、神の業である。クレオは5年間腹の中に重荷を身ごもっていたが、中で眠りに就いている間に、神は彼女を健康にした。」


アスクレピオスの「癒しの事績」:古代ギリシアにおける癒しの信仰」 土屋睦廣著 より

ここに登場するアバトンというのは建物の名前です。病からの治癒を願ってアスクレーピオスの神殿に参詣した人々は、このアバトンという建物で一夜寝ることになっていました。そしてその時に夢の中にアスクレーピオス神またはその子供たちが現れて、病を直したり、病を治す方法を教えたりすることが期待されていました。

(上:アスクレーピオスの神殿跡。土台だけが残っている。右奥の建物はアバトン)


上に引用した例では、眠った時に夢を見たのかどうか書かれていませんが、夢を見たことを記した碑文もあります。

身体が麻痺したランプサコスのヘルモディコス。(神は)中で眠りに就いているこの者を癒し、外に出たら、できるだけ大きな石を聖域の中に持って来るように命じた。彼は、今アバトンの前に置かれている石を持って来た。


同上

額に入れ墨のあるテッサイリアのパンダロス。この者は中で眠りに就いて幻を見た。神が彼の入れ墨を鉢巻きで縛ったうえで、アバトンの外に出たら鉢巻を解いて、それを神殿に奉納せよと命じたように思えた。朝になって、起きて鉢巻を取ると、額の入れ墨が消えているのを見た。彼は、額にあった文字が付いているその鉢巻を、神殿に奉納した。


同上

アバトンで眠らなくても病が治った話もありました。

唖の少年。この者は声のことで聖域にやって来た。最初の犠牲を捧げ、仕来りとして定められたことを行った後で、神に灯を運ぶ係の者が、少年の父親に目を向けながら、願い事が成就したら、一年以内に平癒感謝の犠牲を捧げることを約束するように命じた。すると、少年が突然、「僕が約束します」と言った。父親が驚いて、もう一度言ってみるように命じると、少年は再び言った。そして、このことから彼は健康になった。


同上

これらの霊験譚から、当時のアスクレーピエイオンが参詣者で非常ににぎわっていたことが分かります。