神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

トロイゼーン(3):テーセウスの誕生(1)

ピッテウスについてプルータルコスは「知恵のある人」であったと書いています。

ピッテウスというテーセウスの祖父に当る人もその中の(=ペロプスの子供の)一人で、その築いたトロイゼーンは大きな町ではなかったけれども、当時の人の間では賢明なきわめて知恵のある人として最も名声を馳せた。その知恵がどんなものでどんな力があったかというと、察するところヘーシオドスが「仕事」の中に収めている格言集にも見えるとおり詩人自らもそれをそなえている点で有名だったといわれているような知恵であった。なるほどその中のひとつにあるあの「友人に約束した報酬は確実に果たすべきだ」という格言はピッテウスの言葉だということになっていて、哲学者アリストテレースもそう説いているし、エウリーピデースもヒッポリュトスを「純潔なピッテウスの育て子」と名付けてピッテウスの誉れを明らかにしている。


プルータルコス著「テーセウス伝」 河野与一訳 より。 (旧漢字、旧かなづかいを改めました。)

彼にはアイトラーという娘がいました。コリントスの英雄ベレロポーンがアイトラーと結婚したいといって、天馬ペーガソスに乗ってピッテウスのところにやってきたことがあります。その時ペーガソスがひづめでトロイゼーンの地面を打ったところ、そこから水が湧き出たといいます。このため人々はこの泉をヒッポクレーネ(馬の泉)と呼び、その水を神聖視しました。さて、この結婚話はどうなったかといいますと、結婚に至る前にベレロポーンはコリントスから追放されてしまったために流れてしまったそうです。のちにアイトラーが結婚したのはアテーナイ王アイゲウスでした。そして生まれたのがアテーナイ最大の英雄となるテーセウスです。アイトラーがテーセウスを産むに至る物語は次のようなものです。


(左:天馬ペーガソスに乗って怪物キマイラを退治するベレロポーン)



アテーナイ王はアイゲウスは跡継ぎになる子供が出来ないのを苦にして、どうしたら子供を授かるかをデルポイの神託に訊ねに行きました。得られた神託は「アテーナイの町に行きつくまで革袋から出ている脚を解くな」というものでした。アイゲウスはこの神託の意味が分からないため、賢者として名高いピッテウスに相談しようと考えて、トロイゼーンにやってきました。


(右:デルポイの巫女から託宣を聞くアイゲウス王)

ここにアイゲウスという人があって子供を欲しがっていた。この人にピューティアー(=デルポイの巫女)が下した託宣は広く知られている。それはアテーナイに着くまではどんな女とも一緒になるなと命じたものであるが、その言い方が至極はっきりしていないように思われたから、トロイゼーンまで出向いてピッテウスにそのお告げを伝えた。「諸々の民の最も力あるものよ、アテーナイの町に行きつくまで革袋から出ている脚を解くな。」(革袋にその獣の脚がついたままになっていてそこから酒を出す)このあいまいな言葉の意味を悟ったピッテウスはアイゲウスを、説きつけてかそれとも騙してか、とにかく(ピッテウスの娘)アイトラーと一緒にした。


プルータルコス「テーセウス伝」より

現代の感覚からするととんでもない話ですが、ピッテウスはデルポイの神託の意味を理解して、自分の娘が素晴らしい男児を身ごもるように謀ったわけです。デルポイの神託が言った「革袋の脚」が何を意味しているかはここでは書きません。察して下さい。

一緒になったあとでアイゲウスはその相手がピッテウスの娘だということを知ったが、それが身重になったと感づくと、洞窟の内に剣と靴とを隠してぴったり合うような大きい岩でフタをした。そうしてアイトラーだけを呼んで、自分の息子が生れて成長しその岩を持ち上げて隠しておいたものを取り出すことができるようになったら、誰も気づかないようになるべく皆の知らない間にそれを持たせて自分のところへ寄越せと言いつけて去った。(アイゲウスの弟)パラースの息子たちが自分の命を狙っているし子供のないことを軽蔑していることを非常に恐れていたからである。パラースには息子が50人もあった。


同上

「それ(=アイトラー)が身重になったと感づくと」と書いてありますが、そうするとアイゲウスはピッテウスの家に数カ月滞在していたということなのでしょうか。それにしても釈然としないのは、アテーナイで彼を待っているはずのお妃のことです。二人の間に子供が出来ないことを苦にして神意を伺うアイゲウスを送り出したはずなのに、よりによって(他人の計略にはまったとはいえ)他所の女に子供をはらませてしまうのですから、面白いはずがありません。お妃の名前はカルキオペーというのですが、このお妃がその後どうなったのかをこの物語はまったく語ってくれません。さて、アイゲウスはアイトラーに生れてくる子供についての指示を与えたのちアテーナイに帰ってしまいます。そしてアイゲウスが去ったあと男児が生まれ、その子はテーセウスと名付けられました。幼いテーセウスはアイトラーとピッテウスによって育てられました。