神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エピダウロス(1):起源


エピダウロスは保存状態のよい古代ギリシア劇場の遺跡で有名で、その遺跡は観光地になっています。この遺跡を利用して今でもギリシア悲劇が上演されています。また、その近くには医神アスクレーピオスの神殿(アスクレーピエイオン)や、アスクレーピオスの神力にすがった病人たちを宿泊させる建物などの遺跡があります。これらの遺跡があるところは内陸に入ったところですが、古代のエピダウロスの中心地はもっと海岸沿いにありました。ここは今でも町になっており、町の名前はパライア・エピダヴロス(旧エピダウロス)と言います。別の場所に新エピダウロスもありますが、これは古代のエピダウロス中心部からかなり離れています。また、海岸を少し南に下ると、海中に沈んだ町の遺跡もあります。これはAD2世紀、ローマ帝国の時代の別荘の跡だということです。


さてエピダウロスの起源ですが、パウサニアースによればエピダウロスという人物が建設したということです。このエピダウロスについてパウサニアースは

土地に名前を付けたエピダウロスは、ペロプスの息子だったとエーリス人は言いますが、アルゴス人と詩エーホイアイの意見によれば、エピダウロスの父はゼウスの息子であるアルゴスでした。一方、エピダウロス人はエピダウロスアポローンの子供であったと主張しています。


パウサニアース「ギリシア案内記」2.26.2より

と書いていて、また、エピダウロスの子孫と称する人々をエピダウロスの住民の中から見つけることが出来なかったとも書いています。要するにエピダウロスという人物は影の薄い人物です。パウサニアースは、エピダウロスの死後、町のエピダウロスがどうなったかについても何も記していません。またパウサニアースは、エピダウロスにドーリス人が押し寄せてきた時のエピダウロスの王はピテュレウスという者であり、この人物はイオーンの子孫であったと書いています。

ドーリス人がペロポネーソスに到着する前の最後の王は、クスートスの子イオーンの子孫であるピテュレウスであり、彼が戦いなしにデーイポンテースとアルゴス人に土地を譲ったと彼らは言います。


パウサニアース「ギリシア案内記」2.26.1より

イオーンは、この人物にちなんでイオーニア人という種族名が出来たとされる人物です。


イオーンはクスートスの子とも呼ばれていますが、実は神アポローンの子であると言われています。アポローン神がアテーナイ王エレクテウスの娘クレウーサを愛して生まれたのがイオーンでした。クレウーサは妊娠したことを恥じて父エレクテウスに隠し、やがて生まれたイオーンを捨てたのでした。アポローン神はイオーンを拾ってデルポイの自分の神殿の巫女のそばに置き、その巫女に赤ん坊のイオーンを拾わせました。イオーンは巫女によって育てられ、成人するとデルポイアポローン神殿に仕える宮守になりました。一方、クレウーサはクスートスと結婚して十数年たっていましたが、2人の間には子供が出来ませんでした。夫のクスートスは子供を得る方法をデルポイの神託に尋ねることにし、夫婦そろってデルポイに詣でました。そしてデルポイの神アポローンはクスートスにイオーンを我が子とするように神託を下したのでした。そういうわけで、イオーンはアポローンの子であるにも関わらずクスートスの子とも言われるようになったのでした。この話はアポローン神が自分の生まれた子供をほかの男に押し付けるみたいな、あまり感心しない話になっています。しかし、古代としては自分たちの始祖が有力な神の子であると言われることのほうが、その神の行動が多少非道徳的であることよりも重要だったのでしょう。


イオーンはその後ペロポネーソス半島の北岸にあるアイギアロスを攻略しますが、そこの王セリーソスは彼を婿に迎えて娘ヘリケーと結婚させました。そしてセリーノスの死後イオーンは王位を継ぎ、さらに別の市を建設して妻の名前にちなんでヘリケーと名付けました。また、自分の支配下の住民を自分の名にちなんでイオーニア人と名付けました。その後、アテーナイが隣国エレウーシスとの戦争のために将軍としてイオーンを迎え入れることがありました。その時からアテーナイ人もイオーニア人と呼ばれるようになりました。


上のパウサニアースからの引用によればこのイオーンの子孫がエピダウロスの王であったということです。ということは、それまではエピダウロスはイオーニア人の町だったということになります。では、エピダウロスにはそれまでイオーンの子孫が代々王位を継いでいたのでしょうか? そのところは良く分かりません。ホメーロスイーリアスを調べてみると、トロイア戦争の頃のエピダウロスは、トロイゼーンとともに隣国アルゴス支配下にあったように読めます。

 またアルゴスや、城壁に名を得たティーリンスを保つ者ども、
さてはヘルミオネー、またアシネーの深い入江を抱く邑々、
トロイゼーンからエーイオナイ、また葡萄のしげるエピダウロス
またアイギナやマセースを受領する アカイアの若殿ばら、
この者どもを率いるのは 雄叫(おたけ)びも勇ましいディオメーデー
およびステネロス、これは名もいと高いカパネウスのいとしい息子
それに三人目として続くのは神にもならぶ丈夫(ますらお)、エウリュアロスで、
ラオスの裔なるメーキステウスの殿の息子と世に聞こえた。


ホメーロスイーリアス」第2書 呉茂一訳 より

ここに登場するディオメーデース、ステネロス、エウリュアロスは皆、隣国アルゴスの武将たちでした。