神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コロポーン(3):イオーニア人の到来


古典時代、コロポーンはイオーニア人の町でした。しかし、今までの話ではイオーニア人は登場していません。ではいつ、どのようにしてイオーニア人はコロポーンに到来したのでしょうか? パウサニアースによれば、モプソスの生きていた時代よりのちに、アテーナイ王コドロスの息子たちに率いられたイオーニア人たちがコロポーンにやってきて、元からのコロポーン市民と同等の権利を持ってコロポーンに住んだ、ということです。とはいえ、王位はコドロスの息子たちダマシクトーンとプロメトスに奪われたといいます。もしそうだとすると、平和的な移住というよりもイオーニア人による征服に近いものだったでしょう。このあとプロメトスが兄のダマシクトーンを殺して、そのままナクソスに逃げるという事件が起きたということです。パウサニアースの記述は簡潔過ぎて、そこにどんな経緯があったのかを伺うことは出来ません。


一方、コロポーン出身のBC 7世紀の詩人ミムネルモスによれば、コロポーンの住民はピュロスからやってきたことになっています。私には断言できませんが、ピュロスからの人々をイオーニア人と呼ぶのは無理がありそうなので、この2つの伝説は互いに相いれない内容になっています。ただ、この2つの伝説がまったく無関係かというと、そうでもないように見えます。パウサニアースの伝える話では、イオーニア人たちはアテーナイ王コドロスの息子たちに率いられたということですが、コドロスの祖先はピュロスの王ネストールであると伝えられています。ひょっとすると、ピュロス王の子孫がアテーナイに移住し、アテーナイの王となり、その子孫がイオーニア人たちを率いてコロポーンを建設したことを、ミムネルモスは途中のアテーナイのことを省略して歌ったのでしょうか? これに関連して気になることはアテナイオスの「食卓の賢人たち」という本に「我々がミムネルモスのナンノ(=ミムネルモスの詩集の名前)から学んだように、コロポーンはピュロスアンドライモンによって創建された」と書かれている、ということです。アンドライモンという名前はパウサニアースの「ギリシア案内記」にも登場します。しかしそこではアンドライモンはコロポーンではなく、その近くの町レベドスの建設者ということになっています。そしてアンドライモンもアテーナイ王コドロスの息子である、としています。


私は、イオーニアの諸植民市の建設を、皆アテーナイ王コドロスの息子に関係づけているのは、アテーナイが優勢になった古典時代になって作られた話ではないか、それ以前の建設伝説ではもっと多様な出自の人々による建設が語られていたのではないか、と疑っています。コロポーンの建設伝説には、テーバイ出身のマントーや、クレータ島出身のラキオスや、「ピュロスアンドライモン」という多様な人物が現われている点で、興味深いです。


この時期の出来事を推測するのに考える必要がありそうなことは、ノティオンがアイオリス系の町だった、ということです。ヘーロドトスはコロポーンをイオーニア系、ノティオンをアイオリス系、の町であると書いています。

イオニアの諸都市の内、最も南方の町はミレトスで、つづいてミュウス、プリエネがあり、これらの町はみなカリア地方にあり、お互いに同じ方言を話している。次にリュディアにある町は、エペソスコロポン、レベドス、テオスクラゾメナイポカイアで、これらは前に挙げた町とは言葉は違うが、お互い同士は同じ方言を使っている。イオニアの町はそのほかになお三つあり、その内二つは島にあって、すなわちサモスキオスがそれであるが、もう一つはエリュトライで、これは大陸にある。


ヘロドトス著「歴史」巻1、142 から

以上がイオニアの諸市であるが、次にアイオリスの町としては、プリコニスの異名のあるキュメ、レリサイ(ラリッサ)、ネオン・テイコス、テムノス、キラ、ノティオン、アイギロエッサ、ピタネ、アイガイアイ、ミュリナ、グリュネイアがある。


ヘロドトス著「歴史」巻1、149 から


(上:赤色の文字はアイオリス系、紫色の文字はイオーニア系の町を表す。)


ノティオンは、イオーニアの町々の間にあります。どうしてこんなところにアイオリス人たちは植民市を作ったのでしょうか? ところでアイオリス人の植民活動はイオーニア人の植民活動よりも前に始まったと推定されています。そうだとすると、この地方には以前はノティオン以外にもアイオリス系の植民市があったが、それらはあとから来たイオーニア人によって次々に乗っ取られてしまった、ということなのでしょうか? 私には判断がつきません。また、私は思うのですが、パウサニアースが伝えるマントーによるクラロスの神殿建立の物語は、マントーがテーバイの出身であり、テーバイは歴史時代アイオリス系の町であったことから、元々コロポーンではなくノティオン建設に関する物語だったのかもしれません。