神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コロポーン(2):聖地クラロス

コロポーンから海辺の町ノティオンに向う途中の、かなりノティオン寄りのところにクラロスのアポローン神殿がありました。

(コロポーン、クラロス、ノティオンの位置関係)


デルポイアポローン神殿と同じく、ここにも神託を授ける神託所がありました。「(1)」で紹介しましたように、伝説ではトロイア戦争より前の時代に女預言者マントーアポローン神の神託によって、この神殿を建てたといわれています。トロイア戦争というものが事実だったとしたら、それはBC 13世紀かBC 12世紀の出来事だったであろうと推定されていますので、古代ギリシア人にとってクラロスはそれほど古い由緒を持つ聖地だったのでした。考古学ではクラロスの遺跡はBC 10世紀にまでさかのぼることが出来るそうです。このような古い由緒を持つクラロスですが、その繁栄の頂点はむしろずっと後代の紀元後の2世紀や3世紀でした。つまりギリシアの政治的な自由が失われ、ローマの支配下でいわゆる「ローマの平和」を享受していた頃に、クラロスはその名声を一番広く轟かせていたのでした。

(クラロスの遺跡)


BC 3世紀に再建されたアロポーン神殿の内陣が今も残っています。そこにはアポローン預言者が神託を伝えた内陣があります。それは狭くて、暗くて迷路のような回廊になっています。


クラロスにはアポローンの妹で狩猟の女神アルテミスや、アポローンとアルテミスの母親レートーのための祭壇もありました。また、聖域のいたるところに、参詣者による効験への感謝の言葉が刻まれています。


今、遺跡で目にする多くの建造物やその一部はもちろん、ヘレニズム時代やローマ支配下の時間のものがほとんどです。創建当初はもっと小規模なものだったことでしょう。


クラロスにまつわる伝説としては、マントーの息子モプソスとカルカースの予言の技比べの伝説があります。マントーの息子モプソスは母親と同じく予言の力を持っていました。一方、カルカースはトロイア戦争に従軍した有名な予言者で、トロイア戦争の物語での重要人物の一人です。さて、トロイアが陥落した時のことです。ギリシア将兵は戦利品を船に積み込み、帰国の途につこうとしていました。その時、カルカースは神の怒りを感じたのでした。それは、ギリシア勢の指揮官の一人、ロクリスの小アイアースがトロイアで掠奪をしている際に、アテーナーの祭壇の前で不敬な行為に及んだためで、このためにアテーナー女神がギリシア軍に対して怒っていたのでした。彼はこのまま出航しても無事に帰国するのは困難であると分かったので、ギリシアの指揮官たちを引き留めたのですが、聞き入れられませんでした。そこでカルカースは船に乗るのを止めて、自分の意見に賛同する少数の人々とともに小アジアの西岸を南下したのでした。やがて一行はクラロスにたどり着きました。そこでカルカースを迎え入れたのがモプソスです。ところでカルカースは以前、自分より優れた予言者に出会ったならば死ぬという神託を受けていました。それにもかかわらず(何が彼にそのような意向を持たせたのか分かりませんが)カルカースはモプソスと、予言の技を競うことになりました。カルカースはモプソスに一頭の雌豚を指し示し、この雌豚のお腹に何匹の子豚がいるかを尋ねました。最初にカルカースは自分で、この雌豚は8匹の子を産むであろうと言いました。それに対してモプソスは9匹の牡を明日の6時に産むだろうと言いました。次の日、全てはモプソスの予言した通りになりました。そのことに気落ちしたカルカースはそのまま死んでしまいました。彼はノティオンに葬られました。


ところで、この話はクラロスをめぐるコロポーンとノティオンの支配権争いを表している、という説があるそうです。その説によれば、マントーの息子モプソスはノティオン人の崇拝する予言者であり、カルカースはコロポーン人の崇拝する予言者だということです。クラロスがノティオンに近いことから、最初はクラロスを支配していたのはノティオンだったのでしょう。カルカースにモプソスが勝つ話は、ノティオンのクラロスに対する支配権を正当化するための物語だったのかもしれません。のちにノティオンはコロポーンの港町としてコロポーンと一体化され、クラロスもコロポーンの支配下に入ります。ところが、アレクサンドロス大王の後継者の一人リュシマコスによってコロポーンの町は破壊されてしまいます。その後、ノティオンの町がコロポーンと呼ばれるようになり、クラロスはその支配下にありました。新しいコロポーンの有力市民たちはクラロスの宗教的権威を高めるのを援助したということです。


クラロスの神託で有名なものとして、ずっと後のことになりますが、有名なアレクサンドロス大王が昔からのスミュルナの町の隣に新しい町を作った際の神託があります。この神託はスミュルナの人々に対して出されたもので、故郷を捨ててアレクサンドロスが作った新しい町に移住するように命じていました。それに従ってスミュルナの住民はみな新しい町に移動しました。このためにかつてのスミュルナの町は荒廃してしまいましたが、新しいスミュルナは大いに栄え、小アジアにおいて繫栄した有力都市になりました。そして今もスミュルナは(今ではトルコ語イズミールと呼ばれていますが)トルコ第3の都市として栄えています。