神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

レベドス(1):起源


この「神話と歴史の間のエーゲ海」というブログは、2023年の12月で完結したつもりでしたが、イオーニア12都市の中のレベドスとプリエーネーミュウスについて書いていないことが、最近になって気になってきました。そこで、まずはレベドスについて書いてみようと思います。とはいえ、レベドスについて分かっていることは少しです。


レベドスの位置を以下に示します。


レベドスの起源については、パウサニアースとストラボーンで伝える内容が異なっています。まず、パウサニアースの述べるところを見てみましょう。

レベドスには元々カーリア人が住んでいましたが、コドロスの息子アンドライモーンとイオーニア人によって追い払われました。アンドライモーンの墓は、コロポーンからカラオン川を渡った道の左側にあります。


パウサニアース「ギリシア案内記」7・3・5より

パウサニアースがいうには、レベドスはアテーナイ王コドロスの息子アンドライモーンによって建設された、ということです。コドロスの息子たちがイオーニアに大挙押しかけて、植民市を建設したのは、コドロス王の死後、アテーナイで後継者争いが起きたためでした。

コドロスの息子の年長の息子たち、メドーンとネイレウスが支配権について争い、ネイレウスはメドーンが片足で不自由だったため、彼に支配されることを拒否しました。争う者たちはこの問題をデルポイの神託に委ねることに同意し、ピューティアーの巫女はアテーナイ王国をメドーンに与えました。そこで、ネイレウスとコドロスの残りの息子たちは、彼らと一緒に行きたいと思っているアテーナイ人を連れて植民地を設立しようとしましたが、彼らの一団の多くはイオーニア人で構成されていました。


パウサニアース「ギリシア案内記」7・2・1 より

つまり、アンドライモーンもコドロスの息子の一人であり、彼はネイレウスと共にイオーニア人たちを引き連れてイオーニアに向かい、レベドスの町を建てた、ということです。


ところが隣の町コロポーンの建設者としてアンドライモーンという人物が登場します。これはパウサニアースが書いているのではなくて、アテーナイオスが「食卓の賢人たち」という本で述べていることなのですが、彼はこう書いています。「我々が(コロポーンの詩人)ミムネルモスのナンノ(=ミムネルモスの詩集の名前)から学んだように、コロポーンピュロスアンドライモーンによって創建された」 こちらのアンドライモーンはコドロス王の息子ではなくピュロスの人ということです。私はレベドスを建設したアンドライモーンは、このコロポーンを建設したアンドライモーンと同じ人であり、彼がアテーナイ王コドロスの息子である、というのは後から出てきた説ではないか、と疑っています。というのは、パウサニアースはイオーニアの多くの都市の建設者をコドロスの子供たちに帰していて、それが多すぎるように私は思うからです。また、BC 7世紀のミムネルモスのほうがAD 2世紀のパウサニアースよりもずっと過去の人であることからも、ミムネルモスの記述のほうがより信憑性が高く思われます。また、上の引用にあるようにパウサニアースがアンドライモーンの墓の位置をレベドスとコロポーンの間の地としていることから、彼がコロポーンとレベドスの両方を建設したことを暗示しているように思えます。


一方、ストラボーンはレベドスを建設したのはアンドロポンポスという人物だとしています。

ミュウスはコドロスの庶子キュドレロスによって建設され、レベドスは、アルティスと呼ばれる場所を占領したアンドロポンポスによって建設されました。コロポーンは、ミムネルモスがナンノの詩の中で述べているように、ピュロスアンドライモーンによって建設されました。プリエーネーはネーレウスの子アイピュトスが所有し、後にテーバイからの植民者をもたらしたピロータースが所有しました。


ストラボーン「地理誌」14.1.3 より

ストラボーンはコロポーンの建設者をアンドライモーンとしているのですが、レベドスの建設者はピュロス人のアンドロポンポスだとしています。これは、おそらくアテーナイ王メラントスの父親であるアンドロポンポスのことでしょう。彼はピュロスの人で、ピュロス王ネーレウスの子孫でした。アンドロポンポスの息子メラントスの時に、ヘーラクレースの子孫たちがピュロスを攻撃したため、メラントスたちはアテーナイに避難したのでした。

そこで彼ら(=ヘーラクレースの子孫)は(中略)ネストールの子孫をメッセーネー(ピュロスのある地方)から追放しました。すなわち、トラシュメーデースの子シロスの子アルクマイオーン、ペイシストラトスの子ペイシストラトス、アンティロコスの子パイオーンの子らで、彼らと共に (ネーレウスの子)ペリクリュメノスの子ペンティロスの子ボロスの子アンドロポンポスの子メラントスもいました。


パウサニアース「ギリシア案内記」2.18.8 より

このメラントスがアテーナイ王テューモイテースの代理になって王の敵を倒したために、テューモイテースから王位を譲られて、アテーナイ王になったのでした。このメラントスの息子で次の王がコドロスです。


それはともかく、アンドロポンポスについてはこれ以上、情報はなさそうです。レベドスを建設したのがこのアンドロポンポスだとすると、やはりレベドスはピュロス人によって建設されたことになります。私は、レベドスがアテーナイ人によって建設されたという伝説よりも、ピュロス人によって(アテーナイとは無関係に)建設されたとする説のほうを支持したいです。