1:神話時代
コースはエーゲ海に浮かぶ島ですが、トルコ側のハリカルナッソスのすぐ目と鼻の先にあります。この島の有名な遺跡アスクレーピエイオン(=アスクレーピオス神殿)から、対岸のトルコ側がよく見えます。コース島の位置は、下の図のとおりです。コースは医学の父と呼ばれるヒポクラテースが・・・・
2:ペイディッポス
さて、ヘーラクレースの子としてコースで生まれたテッサロスについては、物語が伝わっていないようです。その二子、ペイディッポスとアンティポスについてはイリアスにあるように、トロイア戦争に出陣しています。ペイディッポスは、そもそもトロイア戦争の原因となった美女ヘレネーに求婚した者の一人でした。・・・・
3:コースへの植民
トロイア戦争が終結し、その後、ギリシア本土には北からドーリス人が攻めてきてペロポネーソス半島を征服しました。こうして出来たドーリス人の町の中にエピダウロスがありますが、コースはそのエピダウロスからの植民によって建設されました。エピダウロスがドーリス人のものになった経緯・・・・
4:アスクレーピオス
病気を治す神として崇拝されたアスクレーピオスの物語は以下のようなものです。アスクレーピオスの父親は神アポローンでした。母親はというとプレギュアースという者の娘のコローニスでした。通常の伝えではプレギュアースはテッサリアの領主であるということでしたが、エピダウロスの伝えでは・・・・
5:ペルシアへの服属
ドーリス人がコースを建設してから、ペルシアに服属するまでの歴史はよく分かりません。おそらくコースはBC 546年のサルディスの陥落からしばらくして自発的にペルシアに服属したようです。それまでコースは貴族政をとっていたと思われます。その後、ミーレートスの僭主アリスタゴラスの策動によって・・・・
6:アスクレーピエイオン
コース島はアスクレーピオス神殿、すなわちアスクレーピエイオン、で有名で、近隣から多くの人々が、病気を治すためにコース島のアスクレーピエイオンに参詣したことを以前の記事でご紹介しました。そのアスクレーピエイオンについてもう少しご紹介します。アスクレーピエイオンは、基本的に・・・・
7:ヒポクラテース(1)
ヒポクラテースが生まれたのはBC 460年とされています。「(5)ペルシアへの服属」の最後のところで述べたBC 479年のプラタイアの戦いから、BC 460年までの出来事をざっとお話します。BC 479年のプラタイアの戦いと同じ日にコース島にも近い小アジアのミュカレーで戦いがあり・・・・
8:ヒポクラテース(2)
ヒポクラテースの名声は生前から高かったのですが、その生涯について詳しいことは伝わっていません。それで何か情報がないかと探してみたところ、哲学者プラトーンの対話篇のひとつ「パイドロス」にヒポクラテースの名前が登場していました。ソークラテースとパイドロスが弁論術について対話している・・・・
9:城壁の建設
前回の「ヒポクラテース(2)」の最後に引用したトゥーキュディデース「戦史」の文には、コースの町には城壁が元々なかった、という記述がありました。ということは、今まで外部からの脅威があまりなかった、ということでしょう。前回の引用を再び以下に示します。その間に、カウノスからの知らせが・・・・
10:プトレマイオス朝エジプト治下
アレクサンドロス大王死後のBC 310年、アレクサンドロスの後継者を名乗る将軍プトレマイオスはエジプトでの王位を得、プトレマイオス1世と名乗り、同じく後継者を名乗るアンディゴノスからコースを奪い取りました。こうしてコースはプトレマイオス朝エジプトの支配下に入りました。プトレマイオス朝の・・・・