神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コース(5):ペルシアへの服属

ドーリス人がコースを建設してから、ペルシアに服属するまでの歴史はよく分かりません。おそらくコースはBC 546年のサルディスの陥落からしばらくして自発的にペルシアに服属したようです。それまでコースは貴族政をとっていたと思われます。


その後、ミーレートスの僭主アリスタゴラスの策動によって、ペルシアに服属しているイオーニア地方(現在のトルコの西岸一帯)がペルシアに反乱するという、いわゆる「イオーニアの反乱」が起りました。この反乱にコースは参加していなかったようです。この反乱が終息したBC 494年よりあとのことになりますが、ペルシアのダーレイオス王はコースに僭主としてスキュテスというギリシア人を送ってきました。このスキュテスという人物は元々、シチリア島(現イタリア領)にあるザンクレーという町(現在の名前はメッシーナ)の僭主でしたが、シチリア島内の町同士の戦いと陰謀に巻き込まれてザンクレーの支配権を喪失したために、ペルシアに逃げてダーレイオス王の許に身を寄せたのでした。そこでダーレイオス王に気に入られて、のちにコースの町を与えられることになったのでした。

その後、スキュテスは高齢に達してその生涯を終え、息子のカドモスがコースの支配を引き継ぎました。しかし、カドモスは自分の支配が正当なものではないと考え、コースの人々に政権を明け渡しました。そして自分はコースから離れ、かつて父が支配していたシチリアのザンクレーをサモス人から取り戻して、そこに住みついたのでした。このあとカドモスは、シチリアのゲラとシュラクーサイという2つの町の僭主であったゲローンに気に入られて、その片腕として活躍するのですが、その話はコースから離れたものになりますので、ここでは述べません。ただ、ゲローンの許でもカドモスは正義の人という評判を得たのでした。


一方、市民の手に権力が戻ったコースですが、まもなく大陸のハリカルナッソスに負けて、ハリカルナッソスの僭主アルテミシアの支配を受けることになります。アルテミシアについては「ハリカルナッソス(7):アルテミシア(1)」に書きました。こうしてコースは、ペルシア王クセルクセースによるBC 480年の2回目のペルシア戦争において、アルテミシアのために軍船を提供し、ペルシア側に立って戦ったのでした。



(左:アルテミシア。たぶん後世の想像図)


アルテミシアの支配はハリカルナッソスからコス、ニシュロス、カリュムノスの諸島に及び、供出した船は五隻であった。全艦隊を通じ、シドンの船についではアルテミシアの出した船が最も評判が高かったし、また同盟諸国の全将領の中で最も優れた意見を陳べたのも彼女であった。
 アルテミシアの支配下にあるものとして先に挙げた町々の住民は、ことごとくドーリス系のものであると断言してもよい。ハリカルナッソスの住民はトロイゼンの、その他の町の住民はエピダウロスの出なのである。


ヘロドトス著「歴史」巻7、99 から


クセルクセースによるペルシア戦争は、サラミースの海戦でペルシア側の負けとなりました。しかしペルシア側で戦ったアルテミシアの支配はその後しばらくは揺らがず、コースはアルテミシアの支配を受けました。BC 479年、ギリシア本土ではプラタイアの戦いがあり、ここでもギリシア軍はペルシア陸軍を撃退しました。この時のギリシア側の総大将はスパルタ王のパウサニアースでした。この時に、ペルシアの高官の妾にされていたコースの女性がペルシアの陣営からパウサニアースの許に逃げてくるという出来事がありました。

ギリシア軍がプラタイアで異国軍を撃滅したときのこと、一人の女がペルシア陣営からギリシア軍に脱走してきた。この女はテアスピスの子パラダテスというペルシア人の妾であったが、ペルシア軍が潰えギリシア方の勝利を知ると、自分はもとより侍女たちにもおびただしい黄金の装飾品を身につけさせ、手許にあるものの中で一番良い衣装を着て馬車から降り立つと、なお敵兵を殺戮中のスパルタ軍の方へ歩みよった。そして万端の指揮をとっているパウサニアスの姿を見ると、すでにこれまでたびたび話にきいて彼の名や国を知っていたので、すぐにそれがパウサニアスであると識り、彼の膝にすがっていうのは、
「スパルタの王様、あなたの御慈悲にすがるこの私を、憐れな捕われの身からお救い下さい。あなたがこれまでに、あの神明も英霊も尊ぶことを知らぬものどもを亡ぼして下さいましただけでも、私にとっては有難いことでございます。私はコス島生れの女で、父の名はヘゲトリデス、祖父はアンタゴラスと申します。元はといえばあのペルシア人めが、無理矢理に私をコスから連れ出して手許においたのでございます。」
するとパウサニアスは答えていうに、
「女よ、安心するがよい。そなたは私の慈悲にすがってきたものであるし、さらにもしそなたの申すことが真実で、そなたがコスのヘゲトリデスの娘であるのならば、そなたはあの方面に住むものの中では私にとって最も親しい友人である人のご息女ということになるからだ。」
 パウサニアスはこういって、その場に居合せた監督官(エポロス)たちに女の身柄をあずけたが、後になって女の希望したアイギナに送り届けてやった。


ヘロドトス著「歴史」巻9、76 から


この記事は、当時のコースとペルシアの関係がどんなものであったかを推測させる意味で、興味深いです。