神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コース(7):ヒポクラテース(1)


(アスクレーピエイオンの床のモザイク。左の人物がヒポクラテース)


 ヒポクラテースが生まれたのはBC 460年とされています。「(5)ペルシアへの服属」の最後のところで述べたBC 479年のプラタイアの戦いから、BC 460年までの出来事をざっとお話します。BC 479年のプラタイアの戦いと同じ日にコース島にも近い小アジアのミュカレーで戦いがあり、これによってイオーニアの諸都市がペルシアの支配から脱するという出来事がありました。しかし、コースでは、ペルシアに協力するハリカルナッソスアルテミシアの支配が揺るがず、しばらくはペルシアの支配下にあったようです。コースがペルシアの支配を脱した年は分かりませんでした。やがてコースはアテーナイが組織したデーロス同盟に参加します。ヒポクラテースが生まれたBC 460年は、アテーナイの政界にペリクレースが登場した頃で、ここからアテーナイの帝国主義的な政策が開始されます。ヒポクラテースはその幼年、少年時代を、日々増大するアテーナイの力を肌で感じながら過ごしたと想像します。


 後世「医学の父」と呼ばれることになるヒポクラテースの革新的なところは、病気とは自然現象であって、いずれかの神が与えた罰でもなく、悪意を持つ霊的存在の仕業でもない、と考え、その考えにのっとって治療を行ったことです。自然現象であるからには病状はある種のパターンに従って変化する。もちろんさまざまな病気が存在するのでそのパターンは1種類ではなく、また、患者の置かれている環境や、患者の体質もさまざまなのでパターンが厳密に同一であることはないのですが、緻密な観察記録を取ることにより、そのパターンを見出そうとしてきました。そのような緻密な観察記録の例が、幸いにも現代まで複数残っています。その中の1例の、その一部をご紹介します。

クラゾメナイ人の男がプリュニキデスの泉の近くで床につき、発熱した。はじめに頭部、頸部、腰部に痛みがあり、すぐに難聴となった。不眠、高熱に襲われ、季肋部は腫脹した。さほどの大きさではなく、緊張していた。舌は乾燥していた。
 第四日目には夜間に譫妄。
 第五日目には苦痛が多かった。
 第六日には一般症状が悪化。
 第十一日ころ、やや好転、発病から十四日目まで、稀薄で多量の水様胆汁性の排便があった。この排便において苦痛はなかった。
(中略)
 第三十一日ころ、多量の水様便と赤痢症状を伴う下痢。濃厚な排尿。耳のそばの腫脹は消失した。
 第四十日に眼の痛みと視力障害。回復。


「流行病 巻一」
「世界の名著 9:ギリシアの科学」より


 ヒポクラテースの医学の特徴は、病状の変化に着目したところだそうです。そのため、病状がこれから将来どのように変化していくかを予測することに重点が置かれていたそうです。

 医師にとって最も重要なのは予見の術を身につけることであると思われる。医師が患者の病床にあって、その現在、過去および将来の病状を予知・予告し、また患者のいい残した詳細を補充するならば、彼は患者の状態をよく了解する者として信頼され、人びとはためらうことなく彼に治療をゆだねるであろう。さらに、もし彼が現在の症状から今後の経過をあらかじめ知ることができれば、最善の治療を行ないうるであろう。(中略)
したがって、このような疾病の性質を知り、それが人の体力よりもどの程度強いのか、またその疾病の経過をいかに予測すべきかを学ばなければならない。(中略)
 どの患者が回復するか死亡するか、どの患者の疾病日数が長いか短いかを正確に予知しようとする医師は、あらゆる症状を完全に理解し、とくに尿や痰そのほかについて記載されたように、各症状の力を相互に比較したうえで、それらを判定することができなければならない。また、つねに流行性疾患の襲来をすみやかに知る必要があり、季節の気象状況をも見逃してはならない。


「予後」
「世界の名著 9:ギリシアの科学」より


 また、ヒポクラテースが現代の医学にまで影響を与えているものとしてヒポクラテスの誓いという、医療にたずさわることを目指す者が行う誓いの言葉があります。この誓いの言葉は、ヒポクラテース当時のままでは現代では用いられていませんが、その精神を汲んで作られたジュネーブ宣言というものがあるそうです。
 では「ヒポクラテスの誓い」を少しご紹介します。

 私は誓います。医神アポロンアスクレピオス、ヒュギエイア、パナケイア、およびすべての男神、女神にかけて、またこれらの神々を証人として、私の能力と判断に従い、この誓いと契約とを実行することを。(中略)
 私が自己の能力と判断とに従って医療を施すのは、患者の救済のためであり、損傷や不正のためにはこれを慎むでありましょう。
 たとえ懇願されても、死を招くような毒薬はだれにも与えず、だれにもこのような示唆を慎み(中略)。
 診療にあたって見聞したこと、また診療以外にも人びととの交際において経験したことで、他言すべきでない事柄は、これを秘密とみなして沈黙を守ります。(後略)


「誓い」
「世界の名著 9:ギリシアの科学」より

 ただ残念なことにこれはどうもヒポクラテースより後の時代に書かれた文章のようです。