神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コース(1):神話時代

コースはエーゲ海に浮かぶ島ですが、トルコ側のハリカルナッソスのすぐ目と鼻の先にあります。この島の有名な遺跡アスクレーピエイオン(=アスクレーピオス神殿)から、対岸のトルコ側がよく見えます。


コース島の位置は、下の図のとおりです。


コースは医学の父と呼ばれるヒポクラテースが生まれ、活躍した地として有名です。このコースについて、神話の時代から歴史の時代までを、なんとか述べてみようと思います。


コースはギリシアの古典時代にはドーリア系の町でした。もともとは島の西のアステュパライアというところが主邑だったのですが、BC 366年に東側に新しく建設されたコースの町に移動したそうです。ここではアステュパライアも含めてコースの名で呼んで行きます。


さて神話におけるコースですが、その名は古く、ホメーロスの「イーリアス」にも登場します。

 さてニシュロスやクラパトス、またカソスの島を領する者ども、
またはエウリュピュロスが都するコース島、またカリュドナイの島々、
その人々を率いるは、ペイディッポスとアンティポスとの両将で、
ヘーラクレースが裔なる殿、テッサロスが二人の息子と知れたが、
その手には、三十艘のうつろな船々が、陣にならんだ。


ホメーロスイーリアス」呉茂一訳 第二書 680行附近より

ここにコースに関連して、いく人かの名前が挙がっています。「エウリュピュロスが都するコース島」のエウリュピュロス、「ペイディッポスとアンティポスとの両将」のペイディッポスアンティポス、「テッサロスが二人の息子」のテッサロスです。まず、ペイディッポスとアンティポスがテッサロスの息子たちであることは、上の引用から分かります。このテッサロスが「ヘーラクレースが裔なる殿」と呼ばれるのにはどのようないわれがあるのでしょうか? そして彼らとエウリュピュロスの関係はどういう関係なのでしょうか? イリアスではそれについては書かれていませんが、高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」を調べたところ、「ヘーラクレース」の項に以下のような物語を見つけました。これはヘーラクレースがトロイアを攻略した帰りの話です。

ヘーラクレース
(中略)トロイアからの帰途、ヘーラーは、眠りの神ヒュプノスにゼウスを眠らせ、嵐を送り、ヘーラクレースの船をコース島に漂着させた。目覚めたゼウスはヘーラーをオリュンポスから宙吊りにしたという。コース人は海賊艦隊が来寇したと考え、石を投じて近づくのをはばんだ。しかし彼は夜中に上陸してコースの市を落し、アステュパライアとポセイドーンの子エウリュピュロス王を殺した。(中略)彼はここでエウリュピュロスの娘カルキオペーと交わって、テッサロスの父となった。


高津春繁著 ギリシアローマ神話辞典 より

これによれば、エウリュピュロスはテッサロスの祖父ということになります。また、島の主邑アステュパライアの名がエウリュピュロスの母親に由来することも推測されます。それにしても、この話はギリシア神話によくある、単なる行き違いから戦争になり、どちらかが殺されて終わる、という、かわいそうな話になっています。コースの王エウリュピュロスは何の落ち度もないのに、ヘーラクレースに殺されてしまいます。そして、そのことでヘーラクレースは後悔した様子もありません。あまっさえ、自分が殺した男の娘と交わるのですから、現代の感覚からすればヘーラクレースは悪逆の徒です。しかし、コースの王家にとっては、自分たちの祖先がヘーラクレースの後裔である、ということが重要なのでしょうね。


話は変わりますが、コース島の南のニシュロス島は、オリュンポスの神々と巨人たち(ギガース)との戦いの物語に登場します。巨人のなかにポリュボーテースという者がいたのですが、この戦いの際にポセイドーンに追われてコース島まで逃げてきました。そこで、ポセイドーンがコース島の一部をちぎって、ポリュポテースの上に乗せて退治しました。その島の一部というのがニシュロス島だということです。そして、この島の真ん中には火山があるのですが、これは島の下敷きになった巨人ポリュボーテースが吐く火が出ているのだそうです。