神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メーテュムナ(13):メーテュムナのワイン

アテーナイが降伏したあとのメーテュムナについてはよく分かっていないようです。英語版のWikipediaにはこう書かれていました。

BC 4世紀のメーテュムナの歴史に関する私たちの知識は限られていますが、都市としてのその名声は、町が鋳造した銀貨と銅貨によってしっかりと証明されています。少なくともBC 340年代までに、僭主クレオミスは市の民主派を追放し、その後10年間権力を保持しました。 この後、クレオミスに何が起こったのかはわかりませんが、336年に島がフィリップ2世の将軍パルメニオンとアッタロスの手に落ちたときに彼が追放された可能性があります。


英語版Wikipediaの「メーテュムナ」の項より

その後、アレクサンドロス大王の軍隊がレスボス島を掌握した時のメーテュムナの僭主の名前はアリストニコスでした。彼が以前の僭主クレオミスとどのような関係があったのか明らかではありません。(この頃、メーテュムナ出身の哲学者エケクラティデースという人物がいたことが伝えられています。彼は、アリストテレースの弟子の1人だったということです。)



このようにペロポネーソス戦争終結後のメーテュムナについてはよく分からなかったので、話をローマ帝国支配下の時代まで下らせます。この頃もメーテュムナが存続していたのは確かです。ローマの平和が訪れた時、メーテュムナに与えられたのは上質なワインの産地という名声でした。紀元前後に活躍した詩人ヴェルギリウスはメーテュムナのワインをレスボス島において最良のワインであり、また、最も多いワインであると語りました。同時代の詩人オヴィディウスは、諺にあるように豊富なものの例としてメーテュムナのワインを挙げていました。さらに後の時代になりますが、AD 2世紀の哲人皇マルクス・アウレリウスの侍医であったガレノスは、レスボス島の全てのワインを素晴らしいワインであると考えていましたが、その中で順位をつけるとすれば、メーテュムナのワインが1番で、2番はエレソスのワイン、3番目はミュティレーネーのワインである、と述べていました。(以上、英語版のWikipediaの「メーテュムナ」の項より)。


ガレノスが活躍した頃は小説「ダフニスとクロエー」が書かれた頃です。この小説の舞台はミュティレーネーの郊外の、ある資産家の所有する荘園です。その場所はミュティレーネーとメーテュムナの間の海岸沿いの場所のようです。その荘園の中で山羊の世話をしていたダフニスと羊の世話をしていたクロエーの間の恋の進展がこの小説の主題なのですが、メーテュムナのワインのことを気にして読んでいくと、ところどころに葡萄が登場することに気づきました。

ラモーンと同じ主人に仕える朋輩の召使が、ミュティレーネーからやってきて、主人が(中略)葡萄の収穫期の少し前に、この土地に来るという報せがあった。すでに夏は過ぎ秋の気配がしのびよる季節であったが、ラモーンはせいぜい主人の目を楽しませようと、滞在を待ち受ける準備にかかった。
(中略)

 こうして主人を待ち受ける準備に忙しくしている時、町から二度目の使いが来て、即刻葡萄の取入れをするようにという主人の命を伝えた。そして自分は葡萄をしぼり終るまで滞在し、それが終ったら町へ帰って、秋の取入れがすべてすんだところで、主人を連れてくるというのである。村人たちはこのエウドロモス(「韋駄天」――この男は飛脚が仕事であったのでその名がついたのであるが――このエウドロモスを大いに歓迎して厚くもてなし、さっそく葡萄を摘んで、実はしぼり桶に、しぼった汁は甕に入れる作業にかかるとともに、町からの客たちにも、取入れの作業の実況とその喜びを味わってもらおうと、まだ蔓についている熟れた葡萄を切りとっておいた。
(中略)

 さて主人のディオニューソファネースはすでに髪に白いものがまじる年頃であったが、背は高く立派な顔立ちで、まだ若い者と張りあう気力の十分ある人物であった。指折りの金持ちであり、その誠実な人柄は他に類を見ぬほどであった。
 このディオニューソファネースは、村に着いた最初の日に、村の守護神たち――デーメーテールディオニューソス、パーンそれにニンフたちに生贄(いけにえ)を捧げて祀(まつ)り、列席した者たち全員のために、共通の混酒器を据(す)えてもてなした。


ロンゴス作 松平千秋訳「ダフニスとクロエー」より

ローマ帝国支配下のAD 2世紀のメーテュムナの様子もこの記述に近いものだったかもしれないと思いました。この頃、ローマ帝国東方の国境ではパルティアとの戦争があり、また、ドナウ川の国境ではゲルマン人相手の戦争があり、一時は長城を突破した蛮族がギリシア本土まで侵入するという事件もありましたが、それも一時的な事態に終わり、エーゲ海にはまだローマの平和が続いていたのでした。


私のメーテュムナについての話はこれで終りです。読んで下さり、ありがとうございます。