神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メーテュムナ(4):アリオーン

アリオーンはBC 7世紀末か6世紀初頭に竪琴奏者として活躍したメーテュムナの人です。

アリオンは当時彼に比肩するものなしとされた竪琴(キタラ)弾きの歌い手で、われわれの知る限りではディテュランボスの創始者命名者であり、コリントスでこれを上演した人物である。


ヘロドトス著「歴史」巻1、23 から

ディテュランボスというのは酒の神ディオニューソスに捧げる讃歌のことです。

 コリントス人の話では、アリオンは多年ペリアンドロスの許にいたが、イタリアとシケリアへ渡る気を起し、渡航後その地で多額の金を儲け、再びコリントスへ帰ろうとした。


ヘロドトス著「歴史」巻1、24 から


ペリアンドロスは当時のコリントスの僭主でした。彼の支配の下でコリントスは貿易で大いに栄えていました。ペリアンドロスは自身の権勢も盛んでしたので、アリオーンのような芸術家を招いて養っていたようです。栄えている僭主が芸術家を招聘する例は、ほかにもあります。ペリアンドロスがアリオーンを招聘した理由は、ひとつには彼自身が芸術に関心があったからでしょうが、もうひとつにはパトロンになることで自身の権力に箔をつけるためでもあったと想像します。アリオーンはペリアンドロスから恩恵を受ける身ではあったのですが、それでもイタリアへ行って興行することが出来たのですから、それだけの自由はあったようです。アリオーンはその立場からコリントス人を信用していました。

コリントス人をどこの人間よりも信用していたアリオンは、コリントス人の船を傭い、タラス(タレントゥム)から出航した。


同上

タラスは現在のターラントで、イタリアの南部にある町です。タレントゥムというのはラテン語での名前です。コリントスの船乗りたちを信用していたアリオーンですが、このあとひどい目に会います。アリオーンがイタリアで多額の金を儲けたことが良からぬ船乗りたちの関心を惹きました。

ところが海上に出てから、船員たちはアリオンを海に突き落して、金を奪おうと企らんだ。これを悟ったアリオンは、金をやるから命は助けてくれ、と頼んだが船員たちは聞き入れず、陸地で埋葬して欲しければ自分で命を断て、さもなくばさっさと海へ飛び込めと強要した。脅迫によってぬきさしならぬ羽目に追いこまれたアリオンは、そのようにきまったことなら致し方ないが、せめて自分が演奏のときの完全な衣装を着け、後甲板に立って歌うのを見逃してくれ、と頼んだ。歌い終ったらば自決すると約束したのである。船員たちは世界最高の歌い手の歌を聞けるかと思うと嬉しくなって、船尾から船の中央へ移った。アリオンは完全な衣装を着け竪琴を手にとると、後甲板に立って高い調子の祭礼歌(ノモス)を一わたり歌い、歌が終るとともにその完全な衣装のまま海中に身を投じた。


同上


ところが一頭のイルカがやってきて、アリオーンを助けて陸まで送り届けたのでした。

船はコリントスに向けて走り去り、アリオンの方は一頭の海豚が彼を拾い上げて、タイナロン岬に運んだという。陸に上ったアリオンは衣装をつけたままコリントスへゆき、事の次第を残らず物語った。ペリアンドロスはその話を信ぜず、アリオンをどこへも出さず厳重に見張るとともに、船員たちの動向に注意していた。やがて彼らがコリントスへ来ると、ペリアンドロスは彼らを呼んで、アリオンがどうしているか知らないかと訊ねた。彼らが、アリオンはイタリアで無事でおり、タラスで別れるときも元気にしていたと答えた途端、アリオンが海中に飛び込んだ時と同じ姿で彼らの前に現われたのである。彼らは仰天し、証拠を突き付けられてはもはや犯行を否認することができなかった。


同上

のちの伝説では、このイルカはアポローン神に嘉されて大空に昇り、「いるか座」になったということになっています。以上がメーテュムナの人アリオーンにまつわる話でした。


(右:いるか座)