神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メーテュムナ(5):ディオニューソス神の顕現

前回の「(4):アリオーン」について英語版のWikipediaにちょっと面白い記事があったのでご紹介します。そこでは、このアリオーンの伝説に関連があると思われる神話としてホメーロス風讃歌の中の「ディオニューソスへの讃歌」の神話を挙げていました。「ディオニューソスへの讃歌」は、沓掛 良彦訳の「ホメーロスの諸神讃歌」に載っていますが、高価な本なので買っていません。


今回は古代ギリシアの文献の英訳を公開しているPerseus Digital Libraryからの引用を適宜使用して、この話の概要をご紹介しようと思います。メーテュムナからは話が逸れてしまいますが、ご容赦下さい。なお、ディオニューソス神は、葡萄酒の神です。

栄えあるセメレーの息子ディオニューソスを歌おう。御神が不毛の海の岸辺の突き出た岬にどのように現れたかを。御神はようやく男らしさが表れ始めた青年のように見えた。
黒い豊かな髪が頭(こうべ)の周りに波打ち、強い肩には紫色の衣をまとっておられた。


「ホメーロス風讃歌7 ディオニューソスへの讃歌」より


(右:ディオニューソス神)


ある日、ディオニューソス神は若者の姿をして、ある岬に姿を現わしたのでした。そこにやってきたのはテュルセーノイ人(エトルリア人)の海賊の船です。テュルセーノイ人というのは今のイタリア半島の北部に住んでいた民族です。彼らはディオニューソスを見ると、これはきっとどこかの領主の息子に違いない、こいつを誘拐すればきっと身代金をたんまり頂くことが出来るだろう、と考えました。海賊たちはさっそくこの男を捕まえて船に乗せたのですが、男は別に抵抗する様子もありません。海賊たちは男を縄で縛ろうとしましたが、どうしたわけか縄はひとりでに解(ほど)けてしまいます。男は笑みを浮かべて座りました。この様子を見た舵取りは仲間たちに向けて大声で叫びました。

「気でも狂ったか? お前たちが連れてきて縛ったのはいかなる神様か?
お強い方におわしますぞ。しっかりした船でさえこのお方を運ぶことはできるまい。
確かにこれはゼウス様か銀弓を持つアポローン様かポセイドーン様だ、それというのもいのち死ぬべき人間とは見えず、オリュンポスにお住いの神々のように見えるのだから。
さあ、すぐにこのお方を暗い海岸にお放ししよう。手をかけるではない。お怒りになって、危険な風と激しい嵐を起されないように。」


同上

しかし、海賊の首領はその言葉を笑い飛ばし、手下たちに帆を上げるようにいいます。そこでディオニューソス神は神力を現しました。

しかし、すぐに奇妙なことが彼らの間で見られた。
まず、黒塗りの船全体に甘くて香りのよい葡萄酒が流れ、天国の匂いがしたので、船員全員がそれを見て驚いた。
そして一気に蔓(つる)が帆の上のほうに沿って両方向に広がり、そこから多くの房がぶら下がった。そして、すべての櫓の穴は花輪で覆われた。
海賊どもがこれらすべてを見たとき、ついに舵取りに船を着岸させるように命じた。
しかし、神は船の中で恐ろしいライオンに変わり、船首にて大声で吠えた。
船の中で彼はまた別の驚異を示した、というのはひどく飢えて立ち上がった毛むくじゃらの熊を現したのである。
舳(みよし)に立って、ライオンは眉をひそめて激しく睨みつけた。
そして、船員たちは船尾に逃げ込み、押し合いへし合いしていたので、良い心を持つ舵取りを困惑させたが、
それも突然ライオンが首領に飛びかかって捕まえるまでのことであった。
船員たちはそれを見ると悲惨な運命から逃げ出すために、船を飛び出し明るい海に飛び込んだ、すると彼らは海豚に変えられた。


同上


このあとディオニューソス神は、ただひとり残った舵取りに、汝は我が心にかなう者である、と言い、「私は音に響くディオニューソス、カドモスの娘セメレーはゼウスとの間に私を産んだのだ。」と自身が神であることを宣明したのでした。


この話がアリオーンの伝説と似ているかと言えば、私はそれほど似ているとは思えないのですが、どちらも船員が客を襲うというところと海豚が登場するところは似ていると言えば似ています。アリオーンはディオニューソス神を讃えるディテュランボスという歌の形式の「創始者命名者」ということですので、アリオーンとディオニューソス神は関係が深いわけです。そういう意味で、上の神話はアリオーンの伝説と関係があるのかもしれません。私がこの説に注目した理由は、後代の小説「ダフニスとクロエー」でメーテュムナに関係した箇所で、上の神話と似たような情景が登場するからです。ひょっとするとメーテュムナという町はディオニューソス神との縁(ゆかり)が特に深い町だったのかもしれません。ディオニューソス神は葡萄酒(ワイン)の神ですが、メーテュムナのあるレスボス島はワインの有名な産地でした。