神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メーテュムナ(3):レスボス島植民

伝説によれば、レスボス島にギリシア人(その一派であるアイオリス人)がやって来たのはトロイア戦争が終わってかなり経ってからになります。BC 1世紀の地誌学者ストラボーンは以下のように書いています。

実際、アイオリス人の植民活動はイオーニア人の植民活動よりも4世代前に行われたが、遅れが生じ、より長い時間がかかったと言われています。なぜなら、オレステースが遠征の最初の指導者だったと言われていますが、彼はアルカディアで亡くなり、息子のペンティロスが彼の後を継いでトロイア戦争の60年後、ヘーラクレイダイがペロポネーソスに戻ってきた頃、トラーキアまで進みました。そして、ペンティロスの息子アルケラーオスがアイオリス人の遠征隊を率いて、ダスキュリオンの近くの現在のキュジケーネにたどり着きました。アルケラーオスの一番若い息子のグラースはグラニコス川へと進み、装備が整っていたため、軍の大部分をレスボスに導いて占領しました。


ストラボーン「地理誌」(13.1.3)より



このオレステースというのはトロイア戦争ギリシア側の総大将でミュケーナイ王のアガメムノーンの一人息子です。アガメムノーンがトロイアを亡ぼしてミュケーナイに帰国した時に、その妻クリュータイメーストラーはアガメムノーンを謀殺してしまいます。それはかつてトロイア戦争の成就のために娘イーピゲネイアを生贄に捧げたことを恨んでのことでした。そして同じくアガメムノーンに恨みを持つアイギストス(彼はアガメムノーンの従兄弟にあたります)を味方につけて、彼をミュケーナイの王位につけます。アガメムノーンの息子オレステースはその時まだ子供で、ポーキスという町に送られていました。オレステースは成人したあと、アポローン神の促しもあって父の仇として自分の母親クリュータイメーストラーを、アイギストスともども殺します。ところがこの行為は母親殺しという古くから忌み嫌われる恐ろしい罪と見なされました。そのためオレステースは復讐の女神たちに常に追われることになり、狂気にさいなまれながら諸国をさ迷うようになります。オレステースは最終的には女神アテーナーの主催する法廷で裁かれて無罪を勝ち取り、一方、復讐の女神たちはアテーナーの説得によってその性格を変え慈しみの女神たちとなってアテーナイの地に鎮まることになります。


ペンティロスはオレステースとエーリゴネーの間の子でした。オレステースの正妻はヘルミオネーなので、ペンティロスは非嫡出の息子ということになります。エーリゴネーは、オレステースの仇であったアイギストスの娘でした。上のストラボーンからの引用によればこのペンティロスがアイオリス人を率いてトラーキアまで植民したのでした。なぜ、ペンティロスが一族の本拠地のペロポネーソスを離れたかと言えば、その頃、ヘーラクレースの子孫を名乗る集団がこの頃大挙してやってきてペロポネーソスへの侵入を繰り返していたからです。史家トゥーキュディデースはその著作でヘーラクレースの子孫のペロポネーソスへの侵入について述べています。

トロイア戦争後にいたっても、まだギリシアでは国を離れるもの、国を建てる者がつづいたために、平和のうちに国力を充実させることができなかった。その訳は、トロイアからのギリシア勢の帰還がおくれたことによって、広範囲な社会的変動が生じ、ほとんど全てのポリスでは内乱が起り、またその内乱によって国を追われた者たちがあらたに国を建てる、という事態がくりかえされたためである。また、現在のボイオーティア人の祖先たちは、もとはアルネーに住居していたが、トロイア陥落後60年目に、テッサリア人に圧迫されて故地をあとに、今のボイオーティア、古くはカドメイアといわれた地方に住みついた(中略)。また80年後には、ドーリス人がヘーラクレースの後裔らとともに、ペロポネーソス半島を占領した。こうして長年ののち、ようやくギリシアは永続性のある平和をとりもどした。


トゥーキュディデース「戦史 巻1 12」より


さらにペンティロスの息子のアルケラーオスが植民団を引き継いでさらにヘレースポントスのキュジケーネ(おそらくはキュージコス)まで進み、さらにそのまた息子のグラースがレスボス島を占領したということです。おそらくすでにあったメーテュムナの町はこの時にアイオリス人に占領されたものと思われます。そしてグラースかその親族の子孫がメーテュムナの王家になったのだろうと私は想像しましたが、それを暗示するような記事を見つけることは出来ませんでした。ここから例によって伝説も歴史もない時代、いわゆる暗黒時代に入っていきます。私が見つけたメーテュムナに関する次に記事は竪琴奏者アリオーンに関する記事で、これはBC 7世紀末か6世紀初頭のことです。おそらくその間に400年ぐらいの時が流れています。この時にグラースの子孫(あるいはグラースの親族の子孫)はまだメーテュムナを支配していたでしょうか? そのことは分かりません。ただ、同じレスボス島のミュティレーネーではこの頃までペンテュリダイというペンティロスの子孫(ということはペンティロスの孫グラースの子孫か、その親族の子孫)が存続していたことが分かっています。