神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メーテュムナ(6):ダフニスとクロエー

前回の「(5):ディオニューソス神の顕現」では、小説「ダフニスとクロエー」の中でメーテュムナに関係して、前回紹介したディオニューソスと海賊たちの話と似たような情景が登場することを述べましたが、それは以下のようなものです。メーテュムナの艦隊はミュティレーネー領に侵入し、羊飼いの少女クロエーと彼女が世話をしている羊たち、それから山羊飼いの少年ダフニスの世話している山羊たちを奪い取って船に収容したのですが、これが牧畜の神パーンの怒りに触れたのでした。メーテュムナの艦隊がやってきた時、ダフニスはたまたま木の枝を刈るために山へ登っていたので、難を逃れました。このダフニスとクロエーは幼いころからの友達同士で、お互いに惹かれあっていたのでした。
 さて、クロエーと羊たちと山羊たちを収容した日の夜、メーテュムナの艦隊はさまざまな恐ろしげな異象が現れたのでしたが、翌朝にも異象は続いたのでした。

夜中このような目にあったメーテュムナ勢に、あくる日は前夜よりもっと怖ろしい一日になった。ダフニスの牡山羊と牝山羊の角に、実の房を垂らした木蔦(きづた)が生え、クロエーの牡羊と牝羊が狼のような声で吼えたのである。さらに当のクロエーが松の枝の冠を頭につけている姿も現われた。また海でもいろいろな異象が起った。錨を揚げようとしても、海底にへばりついて動かないし、櫂をおろして漕ごうとすると折れてしまう。海豚の群が海中から躍りあがり、尾で船体を打って、船板の継ぎ目をはずしてしまうのである。


ロンゴス作 松平千秋訳「ダフニスとクロエー」より


私は上の記述が、「(5):ディオニューソス神の顕現」で紹介した「ホメーロス風讃歌7 ディオニューソスへの讃歌」でのディオニューソス神の現した不思議な現象の記述に似ていると思うのですが、どうでしょうか? まず、ディオニューソスもクロエーも捕えられて船に乗せられていますし、どちらの話にも蔓(つる)や蔦(つた)が伸びて絡まり房が垂れる不思議な光景が現われますし、さらにはどちらにも海豚(イルカ)が登場します。もちろん、「ディオニューソス讃歌」のほうはディオニューソス神が現した異象であり、「ダフニスとクロエー」のほうはパーン神が現した異象という違いがありますが、私には両者が似ていると思います。

  • なお、牧畜の神パーンは、山羊のような下半身と角を持つ姿をしていて、ちょっとキリスト教での悪魔(小悪魔)のように見えます。今扱っている時代ではまだキリスト教は存在しませんので、当時の人々にはパーンが悪魔に見える、ということはなかったでしょう。


では、ここから何が言えるでしょうか? これはまったく私のシロウト考えなのですが、もともと「ホメーロス風讃歌7 ディオニューソスへの讃歌」か、あるいはそれの元になった伝承がメーテュムナにあって、その内容をメーテュムナ出身のアリオーンがディテュランボスというディオニューソス神に捧げる新しい形式の歌に歌い、それが評判になった、と想像しました。そして、別の人々がそのディデュランボスに歌われた内容から、ディオニューソスの代わりにアリオーン自身が船の中で捕えられ、海賊が海に飛び込んで海豚に変身する代わりにアリオーン自身が海に飛び込み、海豚に助けられる話を作り、一方、メーテュムナにあった伝承が、小説「ダフニスとクロエー」の作者によってメーテュムナに関連した場面に取り入れられたのではないでしょうか?

  • ところで、この小説「ダフニスとクロエー」は紀元後2~3世紀にロンゴスという人物によって書かれたものです。この頃のギリシア世界はローマ帝国の一部になっていました。当然メーテュムナもローマ帝国支配下にありました。小説の中では、メーテュムナとミュティレーネーミュティレーネーもレスボス島の都市です)は戦争状態になり、両者は軍を進め合いますが、もしこれがローマ帝国支配下での話でしたら、帝国支配下の都市同士が勝手に戦争を起こすことは出来ないはずです。ということは、小説の中では、もっと昔のギリシアの諸都市が独立していた頃、という時代設定になっているようです。この小説でメーテュムナとミュティレーネーが戦争状態になるという設定は、現実の歴史ではペロポネーソス戦争(BC 431年~404年)の時にメーテュムナがアテーナイ側に、ミュティレーネーがスパルタ側に与して対立していたことを反映しているのかもしれません。


(上:レスボス島の地図)


さてアリオーンが活躍していた頃、小アジアの大部分を支配していたのはリュディア王国でした。そしてその頃のリュディア王はアリュアッテスという人物でした。このアリュアッテスは小アジアの西岸(エーゲ海沿岸)にあるギリシア人の植民市のいくつかを攻略しましたが、次の代のリュディア王であるクロイソスは、その全てを征服し、支配下に置きました。しかしクロイソスは、海を越えてレスボス島を攻めることはありませんでした。そのためメーテュムナは独立を保つことが出来ていました。


しかしその後クロイソスは、東からやってきたペルシアとの戦争に負け、捕らわれてしまいます。リュディア王国は滅亡してペルシア領になりました。その1年後、ハルバコスというペルシアの軍司令官がエーゲ海沿岸地方に赴任すると、彼は小アジアギリシア人諸都市を順番に征服し始めて、全て征服してしまいました。それを見たレスボス島の町々は(その中にはメーテュムナもあったのですが)自発的にペルシア王キューロスの軍門に下ったのでした。