神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メーテュムナ(9):ミュティレーネーの反乱(1)

ペロポネーソス戦争は、アテーナイを中心とするデーロス同盟諸国とスパルタを中心とするペロポネーソス同盟諸国の間で戦われた戦争です。この戦争はBC 431年から404年まで30年近くにわたって続きました。メーテュムナはレスボス島の他の都市とともにデーロス同盟に参加しており、戦争ではアテーナイに協力していました。ところが、ペロポネーソス戦争が始まって3年目のBC 428年のこと、メーテュムナは、同じレスボス島にある都市ミュティレーネーがアテーナイに対する反乱を計画していることを察知しました。ミュティレーネーは港湾の入口を狭める工事や、城壁構築、船舶建造などを行っていましたし、黒海方面から弓兵隊や糧食を取り寄せていました。これらの行動は反乱の準備であるように見えました。メーテュムナ政府はミュティレーネーの状況をアテーナイに報告しました。

レスボスと紛争中であったテネドス島の市民や、レスボスでもメーテュムネーの市民たちは、ミュティレーネー市民の間で私的な内紛を生じていたアテーナイ権益代表などと語らいあって、叛乱計画をアテーナイ人に密告した。いわく、レスボスではミュティレーネーを中心に強制的に政治的統合がおこなわれようとしている、そしてかれらは血縁のゆかりがあるボイオーティア人や、ラケダイモーン人(=スパルタ人のこと)と内通して、アテーナイから離叛するために、あらゆる手をつくして準備を急いでいる。もし今ただちに機先を制してかれらの陰謀を取り潰さなければ、アテーナイはレスボスを失うことになるだろう、と。


トゥーキュディデース「戦史」 巻3・2より

ミュティレーネーはアテーナイに反旗を翻すだけでなく、レスボス島の他の都市(メーテュムナ、エレソス、アンティッサ、ピュラ)を統合してレスボス島を統一することも計画していたのです。そして、メーテュムナを除く3つの都市はミュティレーネーへの併合に合意していたのでした。メーテュムナがアテーナイ側についていたのは、当時のメーテュムナが民主制を採っており、同じく民主制を採るアテーナイと意見が合ったためと思われます。一方、ミュティレーネーは当時、貴族制を採っていました。


この動きに対し、最初アテーナイは何とか外交交渉によってミュティレーネーのデーロス同盟に留まらせようとしました。そこで使節を送って、レスボス島の政治的統合や戦争の準備と思われる諸活動の停止を勧告したのですが、ミュティレーネー側はこれに応じませんでした。そこでアテーナイは軍事行動に出ることを決定し、ミュティレーネー市民が市壁の外で挙行するアポローンの祭典の時期を見計らい、これを奇襲すべく艦隊を派遣しました。しかしこの作戦はミュティレーネーに察知され、奇襲は失敗しました。ミュティレーネー近海に到着したアテーナイ艦隊はミュティレーネーに対して艦隊の引渡しと城壁の撤去を勧告したものの、拒否されたため攻撃を開始しました。ミュティレーネー市民はたちまち休戦交渉をアテーナイ艦隊に申し入れ、アテーナイ側はそれに応じました。しかしこの時ミュティレーネー政府は、アテーナイ海軍の目をかすめてスパルタに向けて使者を乗せた船を送ったのでした。この使節は、ミュティレーネーのペロポネーソス同盟への参加の許可を得ました。休戦中ミュティレーネーはアテーナイにも代表を送って、反乱の意志のないことを示そうとしたのですが、交渉は決裂し、代表はミュティレーネーに戻ってきました。これを機に休戦は終了となり、戦闘が再開されました。

やがてアテーナイから使節が交渉もむなしく帰ってくると、ミュティレーネーをはじめとして、メーテュムネーをのぞく全レスボス島の諸都市は、アテーナオにたいして交戦状態に入った。かねてよりメーテュムネー市民だけはアテーナイ側に加勢していたが、その他イムブロス、レームノス両島の市民たちをはじめ、その他少数の同盟兵がアテーナイ勢に加わっていた。


トゥーキュディデース「戦史」 巻3・5より

ミュティレーネーはペロポネーソスからの援軍が来るまで籠城する作戦に出ました。それに対して、アテーナイ軍は同盟軍を集めてミュティレーネー海上封鎖しました。



一方、メーテュムナの貴族派の一部が密かにミュティレーネーに対して、内応するのでメーテュムナを攻めて欲しい、という要請を出しました。メーテュムナは民主制を採っていましたが、貴族も存在しており、彼らは同じ貴族が政権を握るミュティレーネーに共感していたのです。このようなそれぞれの都市に民主派と貴族派の対立が存在し、民主派はアテーナイを貴族派はスパルタを支持していたため、戦争は複雑な様相を示しました。メーテュムナの貴族派の要請を受けて、ミュティレーネーの陸軍はメーテュムナを攻撃しました。しかし、この計画は事前にメーテュムナ政府に察知され、メーテュムナは防備を固めていました。このためミュティレーネー軍はこれを攻略出来ませんでした。ミュティレーネー軍は撤退し、その帰路で自分たちの同盟国であるアンティッサ、ピュラ、エレソスの市壁の防備を強化しました。その後メーテュムナはアンティッサを逆に攻めましたが、アンティッサに迎撃され撤退しました。