神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

レベドス(2):イオーニア同盟

ところで、先ほどのストラボーンの記事

レベドスは、アルティスと呼ばれる場所を占領したアンドロポンポスによって建設された。

には、レベドスが植民前にはアルティスと呼ばれたという情報が含まれています。おそらくこれは先住民の町の名前でしょう。つまり、レベドスの地にはイオーニア人の植民の前にすでに先住民の町があり、それをイオーニア人が占領して、彼らを追い出したのでしょう。パウサニアースによれば、先住民はカーリア人だったということです。


その後、いつの時代の頃か分かりませんが、レベドスはイオーニア12都市の同盟に加盟しました。この同盟の加盟都市はミュカレー山の麓にパンイオーニオン(=全イオーニア神殿)という名前の神殿を建て、そこを共同で管理していました。

(上:ミュカレー山の位置)



(上:サモス島から見たミュカレー山)


歴史家ヘーロドトスは、同盟に参加した都市の名を、以下の記事で明らかにしています。

 さてパンニオニオンを共有するこれらのイオニア人であるが、われわれの知る限り世界中で彼らほど気候風土に恵まれたところに町を作っているものはほかにない。イオニアより北方の地域も南方も、イオニアと同一に論ずることはできない。一方は寒気と多湿に悩まされ、他方は高温と乾燥に苦しむからである。
 これらのイオニア人の話している言葉は同一のものではなく、四つの方言に分かれている。イオニアの諸都市の内、最も南方の町はミレトスで、つづいてミュウスプリエネがあり、これらの町はみなカリア地方にあり、お互いに同じ方言を話している。次にリュディアにある町は、エペソスコロポンレベドステオスクラゾメナイポカイア、これらは前に挙げた町とは言葉は違うが、お互い同士は同じ方言を話している。イオニアの町はそのほかになお三つあり、その内二つは島にあって、すなわちサモスキオスがそれであるが、もう一つはエリュトライで、これは大陸にある。そしてキオスとエリュトライの住民は同一の方言を話すが、サモス人だけは孤立しており独自の方言を用いている。


ヘロドトス著「歴史」巻1、142 から

この記述によれば、レベドスはエペソスコロポーンテオースクラゾメナイポーカイアと同じ方言を話していたということです。


レベドスが12都市同盟に加盟していたからといって、これらの町と仲良くやっていたかどうかは分かりません。少なくとも、同盟加盟国同士のサモスミーレートスの間に戦争がありましたし、キオスエリュトライの間にも紛争がありました。ここに限らずギリシア人の都市国家というものは、互いに頻繁に戦争しているものなのです。そうでありながらも、同盟に加盟した都市の男たちはパンイオーニオンにつどって、共同の祝祭を挙行したのでした。

パンイオニオンはミュカレの山の北斜面にある聖域で、イオニア人が共同して「ヘリケのポセイドン」に捧げたものである。ミュカレは大陸から西方サモス島に向って伸びている岬で、イオニア人たちは例の町々からここへ集まり、「パンイオニア(全イオニア祭)」の名で呼んでいる祭りを祝うのである。


ヘロドトス著「歴史」巻1、148 から


レベドスは立地条件が悪かったために、あまり発展しませんでした。陸地は狭く、港もあまりよくなかったのです。そのためか、レベドスに関する記録はほとんどありません。ヘーロドトスの「歴史」でレベドスの名前が出てくるのは1か所だけで、それは上に引用した1.142のところです。ですので、レベドスが建設されてからのちの歴史は想像するしかありません。


BC. 7世紀に東方から凶暴な遊牧民族のキンメリア人がレベドスの近くのエペソスを襲いました。この時、レベドスも略奪されたのかもしれません。彼らは略奪するだけで、そこを支配しようとはしませんでした。その後、東方にあったリュディア王国がこのキンメリア人を退治しました。しかし、今度はリュディアがイオーニア各都市を攻略し、支配下においてしまいます。レベドスもリュディアの支配の下に入ったはずです。

(リュディア王)クロイソスが攻撃の戈(ほこ)を向けた最初のギリシア都市はエペソスである。(中略)クロイソスは(中略)ついでイオニア、アイオリスの全都市にさまざまな言い掛りをつけて攻撃した。重大な理由の見付かるときは、それをもちだすのであるが、時にはとるに足らぬ口実を盾にすることもあった。


ヘロドトス著「歴史」巻1、26 から