神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ケオース(1):ケオースのライオン


ケオース島はアテーナイの近くにあり、住民もアテーナイに由来すると伝えられています。そのことについては歴史家ヘーロドトスも

アテナイ人の分れでイオニア族であるケオス人が・・・・


ヘロドトス著「歴史」巻8、46 から

と書いています。アテーナイ人もイオーニア人と考えられていたので、ケオース人もイオーニア人とされていました。ケオース島は現代ではケア島と呼ばれています。



BC 500年頃、この小さな島には4つもポリス(=都市国家)がありました。それらはイウーリス、カルタイア、ポイエーエッサ、コレーシアという名前でした。一番大きな町はイウーリスでした。他の3つの町が海岸沿いか比較的海に近い場所にあるのに対してイウーリスだけがかなり山のほうにあります。おそらくこれは海賊を避けての立地なのでしょう。イウーリスの町の近くに一枚岩に彫られたライオンの像があります。

(上:赤枠のところにライオンの石像がある。)



(上:ライオンの石像の顔の部分)


これはBC 600年より前に彫られたものだそうで、何のために彫られたのかは分かっていません。このライオンについては以下のような伝説があります。かつてケオース島には美しい水のニンフ(=妖精)たちが住んでいて、その美しさや島自体の美しさに神々が嫉妬したといいます。そしてこれは神々らしくないことですが、神々は嫉妬のあまりこの島を荒廃させようとして1頭のライオンを送り込んだのでした。驚いたニンフたちは近くにあるエウボイア島の町カリュストスに逃げていったそうです。伝説はその後のことをはっきりと述べていないのですが、たぶんこのライオンが石になってここにいるのだと思います。


ケオース島に本当にライオンがいたとは思えませんが、かつてはギリシア本土にもライオンがいました。例えば、ペルシア王クセルクセースがギリシア本土に進軍した際、今のギリシアの北東部で食糧運搬用のラクダがライオンに襲われたことがありました。

このあたりを行進中、ライオンの群が食糧輸送の駱駝部隊を襲撃してきた。ライオンは夜間に巣を出て出没するのであるが、他の荷曳用の獣や人間には一向に危害を加えず、ただ駱駝のみを襲ったのである。(中略)
この地方には多数のライオンや野牛が棲息しており、この野牛の巨大な角はギリシアへも多く輸入されている。アブデラの町を貫通するネストス河と、アカルナニア地方を流れるアケロス河とがライオンの棲息地の限界となっており、事実ネストス河以東のヨーロッパ全域、およびアケロオス河以西の大陸全土にわたって、ライオンの姿は一頭も見られず、両河の中間地域にだけ棲息しているのである。


ヘロドトス著「歴史」巻7、125~126 から


あるいはイウーリスのライオン像は、カリマコスが「アコンティオスとキューディッペー」の物語詩のなかで述べているライオンの話が関係しているのかもしれません。カリマコスはBC 3世紀の博識で高踏的な詩人です。彼はその詩のなかでこの話はBC 5世紀半ばに活躍したケオースの年代記作家クセノメデースから聞いたと述べています。

ケオスの若者よ、お前のこの恋は、
古のクセノメデスから、われらは聞いた。
この島の物語を、余さず記録に残した人だ。
発端は、巨大なライオンにパルナッソスを遂(お)われて、
この島に住んでいた、コリュキオンのニンフらのこと

島が、ヒュドルサと呼ばれることになった謂(いわ)れだ。次いで、
キロデスが・・・・カリュアイに住みなした次第。


ギリシア恋愛小曲集」の中のカッリマコス作「アコンティオスとキュディッペ」より

この本(岩波文庫)の注によれば、「コリュキオン」はパルナッソスの近くの洞窟の名前で、「ヒュドルサ」は「水の豊かな島」の意味だそうです。最後の行の「キロデスが・・・・カリュアイに住みなした次第。」についてはキロデスが何者か、カリュアイがどこの地名か不明だそうです。これではライオンについてどのような物語があったのかよく分かりません。「発端は、巨大なライオンに・・・・」と書かれていることから、このライオンがケオースの起源について重要だったらしいことが察せられます。


さてその他の町々についてですが、コレーシアはイウーリスの港の役割を果していました。カルタイアには今も女神アテーナーに捧げられたと推定される神殿や円形劇場の遺跡が残っています。ポイエーエッサについては、英語版Wikipediaの「ポイエーエッサ」の項に「神話によれば、アイアコスがこの町を創建した。」とあって、その注に「(詩人)カリマコスの『アイティア』」とありました。アイアコスはアイギーナ島の伝説上の初代の王です。古い時代にケオース島が、あるいはケオース島の一部がアテーナイではなくアイギーナ島の影響下にあったということは、地理的に考えてありそうなことに思えます。