神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

テオース(5):アナクレオーン

BC 525年のペルシア軍によるテオース包囲から逃れ出た市民の中に詩人のアナクレオーンがいました。彼はその頃30代でしたのでおそらくそれまで町を守って戦っていたと思われます。市民と一緒に彼はテオースを逃れ船に乗って北に向い、トラーキアの地にアブデーラの町を建設することに参加しました。この町は、かつて同じイオーニアのクラゾメナイ人が先に建設した町でしたが、その住民はその後原住民のトラーキア人によって町から追い出されてしまいました。テオース市民は再びトラーキア人を追い出して、そこに住みついたのでした。




アナクレオン


アナクレオーンが詩人として有名になったのはアブデーラに住んでいる時のようです。残念ながら彼の作品は今ではわずかな断片しか残っていないということです。さて、次の詩は、アブデーラとどこかとの戦争で(原住民のトラーキア人部族との戦争でしょうか)戦死した若者を悼む詩です。

おそろしい勇者のアガソンは
おのが市(まち)アブデラのために倒れた
その屍骸(なきがら)の焼かれるのをみて
ひとびとは顔をかくして泣いた

怖しいたたかひの渦巻のその中で
血しほに渇いたアレスの手にかかつていのちをすてたものに
まだ彼のやうな若者はひとりもなかつた


山村暮鳥訳「古代希臘抒情小曲集」より。引用元は山沢孝至「Anacreonをdodoitsuに」

彼の詩で人気があったのは、恋の歌と酒の歌だったそうです。

ああ、愛するとは残酷なこと
そして愛さないとは残酷なこと
しかし最も残酷なことは
無駄に愛し続けること


英語版のWikiquoteの「Anacreon」の項から。訳は拙訳。

黒き大地は飲む。そして
木は大地から吸い上げる
海は急流を飲み
太陽は海を
そして月は太陽を飲む
仲間たち、なぜ私をあざけるのだ?
もし私も飲みたいのだとしたら


同上


やがて、サモス島の僭主ポリュクラテースがアナクレオーンを招聘しました。彼は強大な権力を握っており、その財力で当時の一流の技術者や芸術家を自分の宮廷に集めていました。有名な医者のデーモドコスや金属細工師のテオドロス、サモスの町に水を供給するためのトンネルを掘ったエウパリノス、建築家のロイコスなどがポリュクラテースの宮廷にいました。ポリュクラテースの誘いを受けてアナクレオーンはアブデーラからサモスに移り住みました。アナクレオーンはポリュクラテースの家庭教師だったといいます。アナクレオーンは自分のパトロンのために多くの頌歌を作りました。ある時、ポリュクラテースから金5タラントン(重さの単位)の宝物を受け取ったアナクレオーンはそれから2日間続けて眠ることが出来ませんでした。そしてポリュクラテースにその宝物を返してこう言いました。「どれほど高価なものであっても、それを持っているがゆえの苦労に見合うほどの値打ちではありません。」 この華やかな宮廷生活は突然、終わります。BC 522年、ポリュクラテースはあるペルシア人の罠にかかって殺されてしまいました(その経緯については「サモス(9):ポリュクラテース(3)」を参照下さい)。

今日という日は自分のものだ。
だが、明日という日を、誰が言うことが出来よう?


同上


ポリュクラテースの死後現れた新たなパトロンはアテーナイのヒッパルコスでした。ヒッパルコスは、当時のアテーナイの僭主ヒッピアスの弟で、僭主ヒッピアスとは違って国の統治に気を遣う必要がなく、しかも権力者の弟として金は持っている、という結構な身分でした。彼は五十橈船を1艘仕立て、使節団を派遣してアナクレオーンをアテーナイに迎えました。ヒッパルコスの主催する文人のサークルには当時の名高い詩人、ケオス島のシモーニデースもいて、彼はアナクレオーンの友人になりました。この文人のサークルはアナクレオーンにとって楽しいものであったと想像しますが、またしても突然崩壊します。それはBC 514年にヒッパルコスが暗殺されてしまったからです。それは、同性愛関係のもつれによるものであり、政治的な理由による暗殺ではありませんでした。


このあとアナクレオーンは故郷のテオースに戻ったとも、シモーニデースと一緒に今度はテッサリアの権門エケクラテースの宮廷に滞在したのちにテオースに戻ったとも伝えられています。彼はテオースで生涯を終え、その墓銘碑は友人シモーニデースが刻んだということです。