神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

カルキス(7):レーラントス戦争(2)

レーラントス戦争の同時代人の証言としては、ヘーシオドスのほかに、彼よりあとに生れた詩人アルキロコスがいます。彼の次の詩の断片は、レーラントス戦争のことを唱っている可能性があるそうです。

アレスが平野で戦闘を交えさせるとき、
多数の弓や投石具が放たれることはあるまい。
うめき声の多い戦闘は、剣でこそ行われるだろう。
エウボイアの槍で名高い殿原は、そのような戦闘に熟練しているのだ。


訳文は藤縄謙三氏(京都大学名誉教授 2000年没、西洋古典学者)の「アルキロコスについて: ギリシア植民時代の詩人」から取りました。

これについて、ストラボーン(およそBC 63年~AD 23年)は、カルキスとエレトリアの間では戦争を行う際に「飛び道具」を使用しない、という取り決めがあった、と報告しています。江戸時代の武士のように、剣での戦いを正当なものとし、飛び道具を卑怯な手段とする感性が当時のカルキス、エレトリアの人々の間にあったのかもしれません。


さて、レーラントス戦争は、その規模も、具体的な推移も、活躍した人物の名もほとんど分からないので、なかなか記述することが出来ません。今までの記事でわかったことを書き出してみます。

  • カルキスの王か、それに類する人物の名がアンピダマースであり、彼が戦死したこと、そしてその葬礼競技がカルキスで行われ、詩の朗唱の競技では、詩人ヘーシオドスが参加して優勝したこと。
  • テッサリアのパルサロスの貴族クレオマコスが騎兵隊を率いてカルキスを援助して活躍し、カルキスに勝利をもたらしたこと。しかしクレオマコス自身は戦死したこと。
  • カルキスに味方したことがほぼ確実な国:サモスとパルサロス。
  • エレトリアに味方したことがほぼ確実な国:ミーレートス
  • 戦争の際、飛び道具を使うことは避けられていた。

わかったことはこれだけです。


 さて、アメリカのWikipediaの「レーラントス戦争」の項によれば、多くの学者は参戦国として、さらにアイギーナエレトリア側)、コリントス(カルキス側)、メガラエレトリア側)、を認めているそうです。さらにキオスエレトリア側)、エリュトライ(カルキス側)を認める学者もあるそうです。この戦争はBC 710年頃に始まり、BC 650年頃まで断続的に続いたそうです。そしてその結果、カルキスはエレトリアに勝利したとはいえ、カルキスもエレトリアも国力を消耗し、もはやどちらもかつての繁栄を取り戻すことは出来なくなっていました。そして、その代わりに交易活動の主役に躍り出たのは、エーゲ海の東ではサモスミーレートスであり、西ではアイギーナでした。これらの都市国家は次世代の海上勢力となりました。私は、これらの国々が元々カルキスやエレトリアの交易活動における現地支店のような役割を果たしていたのではないか、と想像しています。つまりカルキスを親会社とする会社系列とエレトリアを親会社とする会社系列があり、この2つの親会社が戦うことになったために、系列会社も戦いに巻き込まれたのだと想像します。そしてこの2つの親会社が倒産したことにより、系列会社が独立して、親会社の事業を引き継いだのではないか、と想像しています。これら新興海上勢力の国々は系列会社だった時代にすでに、交易のノウハウをカルキスまたはエレトリアから得ていて、独立してからそれが役に立ったために成長したのでしょう。アテーナイが彼らにとって代わるのは、さらにのちの話です。


カルキスの黄金時代は、文献資料のあまりない時代に終わってしまいました。それでも戦後なおカルキスには植民市を建設する力は残っていたようです。今度は、エーゲ海の北西の岸に多くの植民市を建設しました。カルキスの植民市が多く建設された半島は、カルキスにちなんでカルキディケ半島と呼ばれるようになりました。