神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ミーレートス(4):レーラントス戦争

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ミーレートスはBC 8世紀にレーラントス戦争に巻き込まれた都市のひとつでした。このレーラントス戦争というのは、ギリシア史の初期のことなのではっきりしたことはよく分からないようです。

レラントス戦争(レラントスせんそう、英:Lelantine War)は、ギリシアのエウボイア島を舞台として、紀元前710~650年頃に行われたカルキスエレトリアの戦争。エウボイア島の肥沃なレラントス平野を巡って勃発したとされ、カルキス側が勝利したが、この大規模な戦争によってエウボイア島は疲弊し、衰退を引き起こすこととなった。カルキスエレトリアは当時経済的に重要なポリスであったため、この戦争は多くの他ポリスを巻き込み、古代ギリシア中を二分した。歴史家トュキディデスによれば、トロイア戦争ペルシア戦争の間において、レラントス戦争は多数のポリスを参戦させた唯一の大戦であった。


日本語版ウィキペディアの「レラントス戦争」の項より

 


まず、カルキスエレトリアの位置を示します。

カルキスエレトリアの間には、エレトリアの母都市であるレフカンディが位置し、そのレフカンディの周囲に広がる平野がレーラントス平野です。ここの領有をめぐってカルキスエレトリアが戦ったということです。次に年代ですがBC 710~650年頃の間に何度も中断しながら行われたそうです。英語版のWikipediaの同じ項目にはミーレートスに関する以下の記述があります。

BC700年頃、エレトリアの母都市レフカンディはおそらくカルキスによって破壊された。(中略)ほぼ同時期にエレトリアの味方のミーレートスはエウボイア南部の町カリュストスを破壊した。この段階で、ミーレートスはエーゲ海東側の支配的覇権を得た。


英語版Wikipediaの「レラントス戦争」の項より

 

これによれば、ミーレートスはBC700年頃にはこの戦争に参加していて、エウボイア島の南部の町カリュストスを破壊したことによってエーゲ海東側で(おそらく海上貿易の)覇権を得たということなので、この事件はミーレートスの歴史にとって重要な事件です。それにしてもカリュストスを破壊したことがなぜエーゲ海東側の覇権を得ることにつながるのでしょうか? その点について残念ながら説明がないのですが、おそらくこのカリュストスがそれまでエーゲ海東側で大きな力を持っていたからなのでしょう。(日本語のウィキペディアでは「同時期、エレトリアの同盟国であったミレトスがカリストスによって荒らされ、東地中海における覇権を失った。」と書かれていますが、その後の歴史を考えると英語版のほうが正しい気がします。) この戦争は最終的にはカルキスが勝ったらしいのですが英語版Wikipediaによればそれも明確ではないそうです。


さてトゥーキュディデースはこの戦争について

陸戦があったことは事実であるが、それらはいずれの場合にも、関係国は隣接国同志に限られており、自国の領土から遠くはなれた敵国を屈服させるための遠征は、ギリシア人のなすところではなかった。(中略)あえて例外を求めれば、古い昔にカルキスエレトリアの戦が行われたが、この戦では他のギリシア諸邦もいずれかの側と同盟をむすび、敵味方の陣営にわかれた。


トゥーキュディデース著「戦史」 巻1、15 から

 

というように、この戦争について「他のギリシア諸邦もいずれかの側と同盟をむすび、敵味方の陣営にわかれた」と述べています。しかし実際にどれだけの数の都市国家がこの戦争に参加したのかは学者によって意見が異なるそうです。カルキス側にテッサリアサモスが、エレトリア側にミーレートスが参加していたことは確実視されています。ミーレートスとサモスは距離が近く、その後の歴史でも何度も対立しているのでここでも敵味方に分かれたのでしょう。


さてヘーロドトスによれば、ミーレートスがこの戦争でエレトリアに味方したことをエレトリアは覚えていて、約200年ののちミーレートスが「イオーニアの反乱」を起した際に、エレトリアはミーレートスに味方して軍船を派遣したのでした。

エレトリアがこの遠征に参加したのは、アテナイのためではなくミレトスへの恩義のためであった。というのは、昔エレトリアカルキスと戦った時、ミレトスがエレトリアの側に立って援助したので――なおこのときエレトリアとミレトスを敵として戦ったカルキスを助けたのはサモスであった――エレトリアとしてはその時ミレトスから受けた恩義に報いるという意味があったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻5、99 から

 

 

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