神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

カルキス(8):パネーデースの判定

レーラントス戦争で戦死したカルキスの王らしきアンピダマースの葬礼に伴う競技において、詩人のヘーシオドスが歌競べの競技に優勝したことを「6:レーラントス戦争(1)」で紹介しました。これについては後世の資料で信ぴょう性が欠けるのですが、AD 2世紀の資料に詳しい記事が載っています。この資料「ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ」は、岩波文庫のヘーシオドス「仕事と日」に収録されています。

今回は、この話をご紹介します。

(ヘーシオドスとムーサたち。ベルテル・トルバルセン作 1807年)


ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ」にはアンピダマースの葬礼競技について以下のように書かれています。

ガニュクトールなる者が、その父なるエウボイアの王アンピダマースの葬礼競技を催すべく、当時の名だたる人物たちをあますことなく――強力、駿足を誇る者のみならず、叡智の誉れ高き者をも加え、莫大な褒賞を賭けて競技に招集した。

ここで、当時の人物の名前としてガニュクトールという名前が登場するのが私にとってはうれしいです。この時代は、私が何とか知りたいと思っている資料の少ない「神話と歴史の間の時代」なので、名前がひとつ分かるだけで私には何だかうれしいのです。このガニュクトールはアンピダマースの息子だということです。ヘーシオドスの「仕事と日」では「豪毅の王(=アンピダマース)の息子らは、莫大な賞品を予告し賭けてくれた」と述べるだけで、息子たちの名前を明らかにしていません。


「当時の名だたる人物たちをあますことなく――強力、駿足を誇る者のみならず、叡智の誉れ高き者をも加え、莫大な褒賞を賭けて競技に招集した」という記述は、なるほどこれはそういう性格の葬礼競技だったのだな、と思わせる記述です。それであれば、ここに詩人が参加するのも納得できます。


さらに、「ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ」では

競技にはカルキスの名士たちが審判の座についたが、死歿した王の弟であるパネーテースもそれに加わった。

とも書かれているので、アンピダマースの弟の名前も分かりました。もちろん、これが信ぴょう性のある話なのかどうかは分かりません。何しろレーラントス戦争が終了してから800年近くあとに出来た資料だからです。このパネーデースは、この資料の別の箇所では「パネーデース王」と書かれているので、アンピダマースの戦死後、カルキスの王位を継いだ人物と思われます。

さて二人の詩人(=ホメーロスとヘーシオドス)は、話によればそれはまったく偶然であったというが、途中で出会い、揃ってカルキスに着いた。

本当にホメーロスとヘーシオドスが一緒にカルキスに赴いたのかは疑問です。それ以前に彼らが同時代人かどうかもあやしいところです。一般にはホメーロスよりヘーシオドスの方があとの時代の人と推定されています。ヘーシオドスの「仕事と日」では、詩の競技に参加したことは書かれていますが、そこでホメーロスと競ったということまでは書かれていません。


このあと「ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ」では、ヘーシオドスがホメーロスに難題を出して、それをホメーロスが見事に応答する、という形で詩人同士の対決の様子が語られます。たとえばヘーシオドスが唱えた句にホメーロスが句をつなげる、日本でいえば連歌みたいなことをやっています。ヘーシオドスがたとえば

この丈夫(ますらお)の父は豪勇、なれどかよわき

と、「ますらお」なのに「かよわい」という矛盾した上の句を詠んでホメーロスを翻弄しようと試みたところ、ホメーロス

母の子なるぞ、おしなべて女(おみな)らに戦(いくさ)は向かぬゆえ。

と下の句をつなげ、「かよわき母の子」と続けることで文の矛盾を解決する、という手並みを披露します。また、ヘーシオドスが

白骨をば拾い集む、死せるゼウスの

と詠んだのですが、これは古代ギリシア人の通念として「神とは不死の存在」であることが前提にあっての、あえてその前提に反する句を詠んだものでした。神々の王ゼウスについて「死せるゼウスの」というのは古代ギリシア人にとって矛盾した叙述なのです。しかしこれに対してホメーロス

愛(まな)息子、豪勇、神にも似たるサルペードーンが白骨を

と続けることで、「死せる」を「まな息子」にかかるようにします。つまり、ゼウスと人間の女性との間に生まれた英雄サルペードーンが死んだ、というふうに矛盾を解いたのでした。このような応酬が何度も繰り返されます。このやりとりを見て聴衆はホメーロスの技量に驚嘆の念を抱きます。

右の応酬があった後、なみいるギリシア人たちは口を揃えて、ホメーロスに勝利の栄冠を授けるべきであるといったが、パネーデース王は二人にそれぞれ自作の詩の中から、もっとも美しい詩節を朗唱するように命じた。

ここでヘーシオドスが歌ったのが自作の「仕事と日」の一節で、農作業について述べたものであったのに対し、ホメーロスが歌ったのは自作の「イーリアス」の一節で、トロイア戦争での戦場における英雄たちの武勇を詠ったものでした。

この応酬においても、ギリシア人の聴衆はホメーロスの技倆に感嘆し、その詩句は尋常の域を越えた非凡なものであるとして賞め称え、彼に勝利を授けるべきであるといった。


ところがここにきてカルキス王パネーデースが変なことを言い出します。

しかし王は、勝利者たるべきは戦争や殺戮を縷々として述べる者ではなく、農業と平和の勧めを説く者でなくてはならぬといって、ヘーシオドスに勝利の冠を与えた。

ホメーロスが圧倒的に優勢だったのに、栄冠はヘーシオドスに与えられることになったのでした。


古代ギリシアのことわざのひとつに「パネーデースの判定」というのがあって、納得のいかない判定のことを「パネーデースの判定」というそうです。この話はAD 2世紀の資料に出ているということで信ぴょう性に欠けますが、カルキスにまつわる物語のひとつとして取り上げました。