神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アブデーラ(2):歴史的な起源


(上:アブデーラの遺跡とエーゲ海


ヘーロドトスによればBC 545年のペルシアによるイオーニア諸都市攻略のなかでテオースの全住民はテオースを捨ててトラーキアに逃れ、アブデーラの町を建設した、ということです。そしてその話を記すついでに、アブデーラはそれ以前にクラゾメナイ人によって植民されたが、すぐに崩壊したことを述べています。

テオスの市民のとった行動も、右のポカイアの場合に似ている。ハルパゴスが盛り土戦術でテオスの城壁を占領すると、テオス人は全市民船に乗り込み、海路トラキアに向い、ここにアブデラの町を建てた。この町はこれより先クラゾメナイの人ティメシオスが植民したところであるが、トラキア人に追われ有終の美をおさめることができなかった。彼はしかし現在アブデラ在住のテオス人によって英雄神として祀られている。


ヘロドトス著 歴史 巻1、168 から


英語版Wikipediaの「アブデーラ」の項によれば、クラゾメナイ人によるアブデーラ建設は「伝説によれば」BC 654年のことだそうです。そしてアブデーラからはBC 7世紀と推定されるギリシアの陶器が発掘されている、ということなので、この前後にクラゾメナイ人がアブデーラにやってきたのは確実なようです。この植民を指揮したのはティメシオスという人物でした。BC 654年という年号から私は、当時遊牧騎馬民族キンメリア人が東からやってきて、イオーニアのギリシア人諸都市を襲撃していたことが、この植民の動機ではないか、と推測しました。つまりキンメリア人に襲撃される恐れのないような遠いところに逃げようとしたのではないか、と思いました。


しかし、この植民はトラーキアの原住民に襲われて失敗したのでした。この時、先住のフェニキア人はどうしていたのでしょうか? アブデーラにおいてギリシア人とフェニキア人の間に抗争があった、という伝えはどうもなさそうです。この時、フェニキア人はすでにいなくなっていたのでしょうか? それともフェニキア人はギリシア人の集落とは別の場所に住んでいて、トラーキア人とギリシア人の間の抗争を高みの見物をしていたのでしょうか? 私には分かりません。


それから100年以上たったBC 545年、イオーニアは今度はペルシア王国に襲われます。前年にリュディア王国を併合したペルシア王キューロスは、将軍ハルバコスにイオーニア諸都市の征服を命じたのでした。

ハルパゴスはこの時キュロスから司令官に任命され、イオニアに着任するや、彼は盛り土作戦によって次々に町を攻略していった。つまり相手を城壁内に追いつめておいては、敵の城壁の前に土を盛り上げて攻略したのである。


ヘロドトス著 歴史 巻1、162 から

イオーニアの諸都市のうちテオースの全住民は、町を捨ててアブデーラに移住しました。その中にはのちに詩人として名を馳せるアナクレオーンもいました。アナクレオーンはアブデーラに移住し、そこで詩人としての名声を高めましたが、当時のサモス島の僭主で、栄華を極めていたポリュクラテースからの誘いを受けて、サモスへ移住してしまいました。アナクレオーンについては「テオース(5):アナクレオーン」に書きました。それはともかくとして、これがアブデーラの歴史上の建設になります。


私は、古代のギリシア人がいざとなれば、船に乗っていとも容易く居住地を変えるのに感心します。こういう時、古代ギリシア人は船を使います。ヘーロドトスはテオース市民たちの船での逃避行の様子を描いていませんが、私は以下のような情景ではなかったかと想像します。以下に引用するのは、ホメーロスの「オデュッセイアー」の一節です。

・・・・人々は纜(ともづな)をほどいて取り、
自分たちもまた船へ上ぼって、櫂の座にそれぞれつけば、
彼らに対して、燦(きら)めく眼(まなこ)の女神アテーナーが順風を吹きおこされる、
・・・・
まず樅の木の帆柱を、中のうつろな船体の中構えの、
内側へと引きあげて押し立ててから、前綱で縛り止めた。
それから今度は、まっ白な帆を、よく捻じつけた牛皮で張りあげれば、
吹き込む風は帆のまん中をふくらますのに、船底の両側には、
船足のすすみにつれ、波が湧きたち、高らかに叫びをあげた。
こうして船は波間をひた馳せに馳せ、道程(みちのり)をつづめていった。
さて綱具をすべて、黒塗りの船へくまなく張りめくらし、結(ゆわ)え終ると、
人々は混酒器(クラテール)を据え並べ、縁のところまで一杯に酒を充たして、
常磐(とこわ)にいまし、不死身におわす神々へと、またそのうちにも、
とりわけて、燦めく眼の、ゼウスのおん娘神に、御酒(みき)をまつった。
こうして船は、一夜さじゅう、暁までも、道程を突き進めていった。


ホメーロスオデュッセイアー」第2書 より