神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

サモス(9):ポリュクラテース(3)

 幸運に恵まれ、栄華を享受していたポリュクラデースでしたが、アポローン祭典の挙行ののち、まもなくあるペルシア人によって殺されてしまったのでした。どのように殺されたのか、ヘーロドトスは

 マグネシアへ着いたポリュクラテスは横死を遂げることになるが、それは彼の人物にもその高邁な志にもふさわしからぬ無残な最期であった。(中略)
 オロイテスはポリュクラテスを殺害してから――その詳細はここに記すに忍びないが――死骸をさらに磔柱にかけさせた。


ヘロドトス著「歴史」巻3、125 から

と記すだけで具体的なことを記していません。

 ポリュクラテースを謀殺したのはオロイテスというペルシアの総督でした。この男がある日、別の地域を支配する総督であるミトロバテスと王宮で出会ったのですが、そこで二人が互いに自分の力量を誇って争っているうちに、ミトロバテスがオロイテスに向って、サモスも征服できぬような男が、というようなことを言ったのでした。それが、オロイテスにポリュクラテースを殺そうという気持ちを起させる原因になったのでした。

ミトロバテスがオロテロスに向って、次のような非難の言葉を浴びせたという。
「なるほどそなたは立派な男といえるであろうよ。自分の任地と目と鼻のところにあるサモスの島を王の領土にくわえることもできずにおるのだからな。それにあの島は土民の一人がわずか十五人の重装兵を率いて手中に収め、独裁しているというほど、平らげるにはいとも容易な島であるのにな。」
 オロイテスはこれを聞いてその悪罵が身にこたえたが、罵った本人に仕返しすることよりむしろ、嘲罵を蒙ったのはポリュクラテスのゆえであるというので、なんとしてもポリュクラテスを殺そうという気を起した、というのが多くの者の伝えるところである。


ヘロドトス著「歴史」巻3、120 から

 オロイテスはマグネシアというところに居を構えていたのですが、そこにポリュクラテースをおびき寄せるために次のような手紙をポリュクラテースに送りました。

 オロイテスよりポリュクラテス殿へ申し上げる。貴殿には大いなる事を企図しておられるが、鵬志に添う軍資金がないと仄聞する。もし貴殿が次に小生が申し上げるごとくになされるならば、御企図の成功は疑いないのみならず、同時に小生をもお救い下さることとなろう。王カンビュセスは小生の殺害を企て、しかもそれを小生に明らさまに通告している。されば貴殿には小生の身柄と財宝を貴国に移し、財宝の一部は貴殿の有とし、一部を小生の自由にして頂きたい。資金に関する限りは、貴殿は優に全ギリシアを制覇なされるであろう。なお小生の財宝に関し御疑念がある節は、貴殿が最も信頼しておられる方をお寄越し下されば、小生自らその方にそれをお目にかけよう。


ヘロドトス著「歴史」巻3、122 から

 この手紙を読んで喜んだポリュクラテースは自分の片腕として信頼していたマイアンドリオスをオロイテスの許に送って、その財宝を確かめさせました。マイアンドリオスがサモスに戻って、その財宝が確かに巨額のものであるとポリュクラテースに報告すると(実はマイアンドリオスはオロイテスに騙されていたのですが)、ポリュクラテースはオロイテスに会うためにマグネシアに向おうとしました。そのとき、ポリュクラテースの娘が不吉な夢を見たので行かないで欲しい、とポリュクラテースに頼んだのですが、彼は聞く耳を持ちませんでした。

 ポリュクラテスは占師や身辺の者たちが切に諌止したにもかかわらず、自ら現地に赴く用意を整えていたのであったが、さらに彼の娘がこんな夢を見たのである。娘の見た夢というのは、父親が空中に吊され、ゼウスによって体を洗われ、陽の神によって油を塗られるというのであった。この夢を見た娘は、あらゆる手段を尽してポリュクラテスがオロイテスの許へ旅立つのを思い止まらせようとしたが、ことにいよいよ父が五十橈船に乗り移ろうとする時、不吉な言葉を繰返していった、父は娘に、もし自分が無事に帰国した時には、いつまでも嫁にやらぬぞと威したが、娘は父の言葉どおりになってほしい、父を失うよりはいつまでも嫁にゆけぬ方が嬉しいと答えた。


ヘロドトス著「歴史」巻3、124 から

 このあとポリュクラテースはペルシアの総督オロイテスによって殺されるのですが、娘の見た夢の意味はこういうことだったということです。ポリュクラテースは殺されたあとオロイテスの命で磔になったのですがそれが「父親が空中に吊され」ということなのでした。「ゼウスによって体を洗われ」というのは、その死骸に雨が当たることであり、雨を降らすのはゼウスの権能の一つと考えられていたからです。そして「陽の神によって油を塗られる」というのは、日光に当って体から水分を発することを意味したということです(この最後だけはよく理解出来ていません。日光に当ると体から水分を発するものなのでしょうか? ここにはヘーロドトスの説明に従って書きました)。

 かくてポリュクラテスの恵まれた数々の幸運も、(中略)このような結末を見たのであった。


ヘロドトス著「歴史」巻3、125 から