神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

タソス(2):テュロスのヘーラクレース

前回ご紹介したように、タソス島にその名を与えたというフェニキア人タソスは、ギリシア神話において、ゼウスに誘拐されたエウローペーを捜索する人の中に加えられました。そしてカドモスの兄弟または甥とされることもありました。

 
ギリシア神話にはそのほかにもタソス島が登場する話があります。あまり重要な位置を占めてはいませんが、話の脇道のようなところで少しタソス島が登場しているのです。それはヘーラクレースの十二の功業のひとつ「アマゾーンの女王ヒッポリュテーの帯」の話の中の挿話のひとつです。ヘーラクレースがヒッポリュテーの持っていた帯を手に入れたのちにタソス島に来て、そこに住んでいるトラーキア人たちを追出し、自分が以前から人質にしていたアルカイオスとステネロスにこの島を与えた、というものです。



(ヘーラクレース)


このアルカイオスとステネロスとは何者で何故ヘーラクレースの人質になっていたかと言えば、ヒッポリュテーの帯を求めて小アジアに行く途中でヘーラクレースの一行はパロス島に寄港したのですが、その時に次のようなことがありました。
 当時パロス島を治めていたのはクレータの王ミーノースの息子であるネーパリオーン、エウリュメドーン、クリューセース、ピロラーオスの兄弟でした。また、ミーノース王の孫のアルカイオスとステネロスもそこに住んでいました。彼らの父親はアンドロゲオースといいミーノースの息子の一人でしたが当時はすでに死んでいました。さて、ヘーラクレースの一行がパロスに上陸した際のこと、ヘーラクレースの部下2人がこれらミーノースの兄弟たちに殺されました。なぜ殺されたのか詳細はよく分かりません。とにかくヘーラクレースは怒り、パロスの町を攻撃しました。この戦争でネーパリオーンとエウリュメドーンは戦死し、残りの2人はヘーラクレースに降伏しました。そして、殺した部下2人の代わりに自分たちの中から2人を連れて行ってもらうようにと申し入れました。そこでヘーラクレースはアルカイオスとステネロスを選んで、以降自分の手下として「アマゾーンの女王ヒッポリュテーの帯」を獲得する冒険に参加することを命じたのでした。


ここで、この挿話の枠になっているヘーラクレースの十二の功業について簡単に紹介します。


ある時、ヘーラクレースは女神ヘーラーから送られた狂気によって自分の子供たちを殺してしまったのでした。その罪を償う方法をデルポイの神託に彼が尋ねたところ神託は、ミュケーナイ王エウリュステウスに12年間奉仕し、彼に命ぜられた仕事(難行)を行なえ、と命じたのでした。そしてその難行を全てやり終えたのちにヘーラクレースは天上の神々に迎えられ不死になるであろうと、神託はつけ加えたのでした。


こうしてヘーラクレースはエウリュステウス(これが臆病なうえに卑劣な男なのでした)に命じられた無理難題をひとつひとつこなすことになるのですが、その中のひとつがアマゾーン族の女王ヒッポリュテーが持っているといわれる帯を持ってくるように、という難題でした。アマゾーンは東の果てに住む、女性だけの勇猛な部族でした。その女王は、女王である印として特殊な帯を持っているのですが、それをエウリュステウスの娘のアドメーテーが欲しがったのでした(このアドメーテーはサモスの伝説にも登場します。「サモス(1):サモス植民」を参照下さい。またアマゾーン族に関しては、「アマゾーン族の女王エポスが小アジアのエペソス市を創建し、エペソスの有名なアルテミス神殿を建設した」という伝承があります。「エペソス(1):エペソスの建設」を参照下さい)。ヘーラクレースは女王ヒッポリュテーの好意によりその帯を手に入れることが出来たのですが、ヘーラクレースに悪意を持つヘーラー女神の横やりによりアマゾーン族と戦争になってしまい、心ならずもヒッポリュテーを殺すことになったのでした。ここではその詳細は省きます。


ところででこのタソスに関する挿話の意味するところは何でしょうか?


伝承によれはBC 650年頃パロス島の人びとがタソスに植民したというので、そのことを神話の時代にまでさかのぼって物語にしたのでしょうか? 上の挿話ではヘーラクレースが来る前にタソスに住んでいたのはトラーキア人ということになっていますが、そうするとタソスが率いてきたフェニキア人たちはどうなったのでしょうか? もちろん神話・伝説は多くの素材から作られたものであって、その話と話の間には矛盾があっても仕方がない、とは思いますが気になります。なお、ギリシア神話の中の年代では、タソスのタソス島への植民のほうがヘーラクレースのタソス島征服よりも先の出来事、ということになっています。


私がこの挿話が気になるのは、タソスには古いヘーラクレースの神殿があるからです。しかもそれはギリシア人がタソス島に住み着く前、フェニキア人たちによって建立されたと伝えられています。ヘーロドトスは以下のように書いています。

私はタソスへも行ったことがあるが、そこには確かにフェニキア人の建立に成るヘラクレスの神社があった。このフェニキア人たちはエウロペを捜索するために船出してきた者たちであったが、その折にタソスに入植したのである。


ヘロドトス著「歴史」巻2、44 から

ギリシア人たちはこの神殿に祭られているヘーラクレースのことをテュロスのヘーラクレースと呼んでいました。テュロスというのは今のレバノンにあったフェニキア人の都市のことで、古代のフェニキア人の世界の中心地のひとつでした。

ヘーロドトスはテュロスにも行っており、そこにはタソスの神殿と同じ神を祭る神殿があったと報告しています。彼の報告によればテュロスにはヘーラクレースの神殿が2つあり、そのうちの1つが「タソスのヘーラクレース」の神殿であった、ということです。

 私はこの件に関して正確な知識を与えてくれる人に会いたいと思い、海路フェニキアテュロスまで渡ったことがある。ここにヘラクレスの神殿があると聞いたからである。(中略)私はこの神の祭司たちに会い、神殿の建立以来どれほどの時が経っているかを訊ねたのであったが、彼らのいうところもギリシアの所伝と一致せぬことが判った。祭司たちの話では、この神の社はテュロスの町の創設と同時に建立されたものであり、彼らがテュロスに住みついて以来今まで二千三百年になる、というのだからである。
 私はテュロスで「タソスのヘラクレス」の異名で知られる、別のヘラクレス社も見た。


ヘロドトス著「歴史」巻2、44 から

上の引用で「私はこの件に関して正確な知識を与えてくれる人に会いたいと思い」とある中の「この件」とは、ヘーラクレースの生きていた時代の古さについてです。ヘーロドトスはヘーラクレースがいつ生きていたのかを知りたかったのですが、ここには込み入った事情がありそうなので、ここでは深入りしないようにします。さて、以上のことからフェニキアの都市テュロスに祭られていたヘーラクレースがタソスでも祭られていた、ということが分かります。しかしだからといって、フェニキア人がギリシアの神話を信じていた訳でもなく、ギリシアの神(この場合は英雄神)を崇拝していた訳でもありません。この神はフェニキアメルカルトという神であったと推定されています。テュロスの守護神とされていた神です。それをギリシア人が自分たちのヘーラクレースと同一視したのでした。



(メルカルト神)


もし上で紹介した「ヘーラクレースがアルカイオスとステネロスにタソス島を与えた」という伝承が、このメルカルトの事績を表しているとしたら、この伝承の持つ意味が見えてくるような気がします。ひょっとするとこれは、メルカルト神によるタソスのフェニキア人王家創建の伝説が元になっていたのではなかったでしょうか。