神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エペソス(1):エペソスの建設






 エペソスは小アジアのイオーニアにあった古代都市で、今ではトルコ領になっています。トルコの観光地として有名なところで、ここは古代ギリシア、ローマ好きにとってその興味を満たす場所だけでなく、新約聖書の中に「エペソ人への手紙」が入っているようにキリスト教徒にとっても重要な場所のようです。また、聖母マリアが晩年を過ごした家と伝えられるものもあるそうです。


 エペソスの創建は神話では、川の神カユストロスの息子エペソスによるものと言われています。カユストロスというのは、このあたりにあった川の名前です。別の伝説ではアマゾーン族の女王エポスがエペソス市を創建したと言われています。彼女はエペソスの有名なアルテミス神殿を建設したとも伝えられています。ところで、このアルテミス神殿はイオーニア人がエペソスにやってくる以前に存在していたと伝えられており、また現代の考古学も、(それが女神アルテミスに捧げられたものであるかどうかは別として)イオーニア人の到着以前からそこが聖地であったことを示唆しています。ということは、これらの創建伝説は、ギリシア人による創建より以前のことを指しているようです。


 次に、イオーニア人によるエペソス市建設の伝説を紹介します。
 この都市の建設者はアンドロクロスという者で、彼はアテーナイ王コドロスの息子でした。アテーナイ王コドロスの治世の時、ドーリス人の一派がヘーラクレースの子孫アレーテースに率いられてアテーナイに攻め込んできました。この時、アレーテースはデルポイの神託を受けており、その神託は「アテーナイ王を殺さなければ、勝利を得るであろう」というものでした。デルポイクレオマンティスはこの神託をコドロス王に知らせました。この神託を知ったコドロスは、貧しい身なりをして敵陣に近づき、兵と喧嘩をし、わざと殺されたのでした。このことを知ったアレーテースは軍を引きあげました。
 コドロス王の死後、コドロス王の息子たちの間で王位争いが起きました。最終的には神託に基づいてメドーンが選ばれました。王位争いに敗れたアンドロクロスはアテーナイ市にその頃避難してきたイオーニア人を率いて植民市を建設することにしました。そこで出発前に神託を請うと、神託は「魚と猪によって市を建設すべきところを教えられるであろう」と告げたのでした。彼は小アジアに到着すると原住民のカーリア人とレレゲス人を追い払いつつ新しい都市を建設する場所を探しました。ある日、アンドロクロスが食事の仕度をしていると、その最中、魚が飛んで炭火がそのために灌木に燃え移り、そこから猪が飛び出してきました。アンドロクロスはこの猪を殺しましたが、この時に神託のことを思い出し、この地にエペソス市を造ったのでした。
 この頃、兄弟のネーレウスもやはり小アジアに植民し、ミーレートス市を建設しました。そのほかにもイオーニア人は都市を建設し、都市の数は12になりました。アンドロクロス王は、この12都市の間に同盟を結ばせました。彼は、イオーニア12都市の1つプリエーネーをカーリア人の攻撃から守るためにやってきたときに、カーリア人との戦いで死亡したということです。

(イオーニア12都市)