神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

タソス(3):タソス植民


BC 650年かその少し前、パロス島の住民テレシクレースがデルポイの神託に従って、パロス島の植民希望者を率いてタソス島へ植民しました。このことについて分かっていることはほとんどありません。若干の学者の説によれば、テレシクレースは女神デーメーテールの神官の家系に生まれた、ということです。この時のデルポイの神託なるものが現在まで伝わっています(信憑性は低いそうです。)

テレシクレスよ。パロス人に私が命ずるままに伝えよ。
霧立ちこめる島に、姿明らかなる町を建てよと。


アルキロコスについて: ギリシア植民時代の詩人」藤縄謙三著 より


この植民の時までフェニキア人はタソス島に住んでいたのでしょうか? それともフェニキア人はすでに島から撤退していたのでしょうか? そして代わりに、島の北の陸地に住む好戦的なトラーキア人が島にやって来て住んでいたのでしょうか? ギリシア人たちがタソス島に住み着こうとした時に、元から住んでいた者たちとの間に軋轢はなかったのでしょうか? 戦にはならなかったのでしょうか? 私はこのような疑問を持っていますが、その答えになるような情報を見つけられずにいます。


フェニキア人はタソス島にある金鉱を採掘していましたし、その後タソス島がギリシア人の所有になってからも金鉱は掘り続けられていて、タソス市の主要な収入源であったことから、私はフェニキア人が金鉱を捨てておとなしく撤退する、とは考えられないと思っています。しかし、そうであればフェニキア人とギリシア人(この場合はパロス人)の島の所有をめぐっての戦いの伝承があってもよさそうなのに、それが見つかりません。私の探し方が悪いのかもしれませんが・・・・。


トラーキア人との戦いならば、タソス市創建当時よりは一世代下りますが、それに関する伝承があります。しかし、これがタソス島内での戦いだったのか、それとも大陸側での戦いだったのか、よく分かりません。テレシクレースの息子のアルキロコスは詩人になったのですが、彼は同時に戦士でもあり、トラーキアの部族のひとつであるサイオイ族との戦いに参加し、それに関する詩を残しています。

サイオイの誰かは盾を見つけて、意気軒昂であろう。それを私は
しぶしぶ、藪のところに捨ててきたのだ。非のうちどころのない武具だった。
しかし私自身は救い出せた。どうしてあの盾が気に懸ろう。
盾なんかどうでもよい。もっとよい品を、新たに手に入れよう。


「物語 古代ギリシア人の歴史」周藤芳幸著の「第三章 オリンピックでの優勝をめざして」より


パロス島は良質な大理石の産地として有名でした。有名なミロのヴィーナスはメーロス島(=ミロ島)から出土したのですが、その像の大理石はパロス産の大理石です。そしてタソス島にも同じように良質の大理石が眠っていました。パロスの人びとは金鉱と大理石の鉱脈の二つに魅かれてタソス島に植民したようです。


パロス島の住民はイオーニア系でした。アカイア人に故地(ペロポーネソス半島の北側)を追い出されてアテーナイに一旦避難したイオーニア人たちの一部が、のちにパロス島に植民した、と伝えられています。(「ハリカルナッソス(1):ドーリス人の植民」に関連する記事を書いています。)