神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

タソス(1):フェニキア人のタソス

タソス島はエーゲ海の北の端に浮かぶ島です。


タソスがギリシア人のものになったのは、BC 650年頃と比較的遅いです。では、それまではこの島にどの民族が住んでいたかといいますと、それはフェニキア人だったということです。こんなところにまでフェニキア人が来ていたか、と思うと意外な気がします。というのはBC 650年頃、東も西も南もギリシア人が住みついており、北側は野蛮なトラーキア人が住んでいる、という状況で、フェニキア人はここでは孤立していたからです。


しかしかつてのエーゲ海では、ギリシア人ではなくフェニキア人とカーリア人が我が物顔で活躍していたらしいです。BC 5世紀の歴史家トゥーキュディデースは次のように書いています。

当時島嶼にいた住民は殆どカーリア人ないしはポイニキア人であり、かれらもまたさかんに海賊行為を働いていた。これを示す証拠がある。今次大戦(注:これはペロポネーソス戦争のこと)中にデーロス島がアテーナイ人の手で清められ、島で死んだ人間の墓地がことごとく取除けられたとき判明したところでは、その半数以上がカーリア人の墓であった。これは遺体と共に埋められていた武器や、今日なおカーリア人がおこなっている埋葬形式から判った。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1、8 から

上の引用中で「ポイニキア人」とあるのはフェニキア人のことです。


彼らはタソス島に金鉱があるのを見つけて、そこに住みついたのでした。

 私自身もこれらの鉱山を見たことがあるが、その中でも特に異彩を放っているのはタソスなる者を指揮者としてはじめてこの島に植民したフェニキア人の発見した鉱山である――なおこの島の現在の名はタソスというフェニキア人の名に因って命名されたもので、このフェニキア人の鉱山は、タソス島のアイニュラおよびコイニュラと呼ばれている二つの場所の中間にあって、遥かにサモトラケ島を望む大山であるが、金鉱探しのためにすっかり掘り崩されてしまっている。


ヘロドトス著「歴史」巻6、47 から

上の引用によれば、タソスの名前は、そこに植民したファニキア人の一団の指導者の名前に由来する、とのことです。


タソス島にかつてフェニキア人が住んでいた理由づけをギリシアの神話体系の中で行うために、古代のギリシア人たちはこのフェニキア人たちをエウローペーの探索に結びつけました。エウローペーの探索については「テーラ(3):エウローペーを探すカドモス」を参照下さい。ヘーロドトスは以下のように伝えています。

このフェニキア人たちはエウロペを捜索するために船出してきた者たちであったが、その折にタソスに入植したのである。


ヘロドトス著「歴史」巻2、44 から




(左:エウローペー)